FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線367今回の震災を振り返りますと、一番重要と思われたのは地域の医療が、放射能災害に対しての準備が全くできていなかったことです。裏返して言えば行政が、地域の医療を放射能災害対策に全く組み込んでいなかった点が最も問題ではなかったかと思います。今後は、放射能災害に対し、地域の医療を組み込んだ対策が取られること、それも原子力施設の立地地区以外の広域な医療機関で対策が取られることが必要と思われます。スライドは、福島医大の附属保育園の写真です。放射能災害で外出できなかった時期に、USJが園児の慰問に来てくださった時の写真を借りてきました。現在では除染により園の放射能レベルも0.2μシーベルト前後となり、園児たちも外で遊べる時間が長くなりました。皆様の支援を頂き、園児やその父兄も福島の復興を目指してがんばっておりますので、今後とも福島を温かく見守っていただければ幸いです。

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