FUKUSHIMAいのちの最前線
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362地震、津波、原発 そして今〜複合災害からの教訓〜私は震災発生当時、手術室におりましたが、幸いなことに手術の合間で、患者さんにはご迷惑をかけずに済みました。地震はかなり強く長い揺れでしたが、手術室ではスライドの様に、天井の目地の落下程度で大きな被害はありませんでした。大学の設備もひび割れなどはありましたが、病院機能に影響するような大きな被害はありませんでした。しかし、医局に帰ってみると本棚は倒れ大変な状況になっていました。携帯で取った写真ですが、時計はちょうど2時46分で止まっていました。次は超急性期の対応です。超急性期の3月11日から15日にかけてはDMAT(災害派遣医療チーム)が全国から35チーム・約180名の参集がありました。主に南相馬市方面を中心とした活動をしました。3月12日からは大学は重症患者に特化し、一般外来は閉鎖し対応に当たり、168名の患者のトリアージを行いました。病棟は重症患者受け入れ体制となり、眼科病棟は入院患者をすべて退院させ、全病床を開放しました。緑:93名、黄:44名、赤:30名、黒:1名 計168名DMAT活動の写真です。ヘリや救急車で患者が次々と搬送されてきました。直後から医局員の安否確認を行いました。大学にいた医局員は直ぐに安否が確認できましたが、派遣病院、出張先の医局員の安否確認には手間取りました。原発のあった双葉町の病院に勤務していた医局員もおり、その安否確認には3日を要しました。また福島県眼科医会会員の先生の確認にも3日を要しました。固定電話、携帯はほとんどつながらず、メーリングリストが大変役に立ちました。安否の確認は人命救命の点でも不可欠ですが、震災対応の初動体制を取るためにも大変重要で、複数の連絡手段を用意しておくことの必要性が痛感されました。特にメーリングリストは有効でした。震災までは医局のメーリングリストは一つでしたが、震災後は学外のサーバーにも登録し二重化ました。また大学全体として災害当日から全学合同での災害対策ミーティングを行い、情報の共有化と災害対策についての話し合いがもたれました。

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