FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線3612012年4月5日第116回日本眼科学会総会特別パネルディスカッション福島県立医科大学眼科学講座 准教授 石龍 鉄樹地震、津波、原発 そして今〜複合災害からの教訓〜 本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。引き続き福島県における震災の状況、対応につきお話しさせていただきます。福島県の災害は地震津波に加えて原発事故が起き、複合災害となりました。本日は複合災害からの教訓と言う副題で、この複合災害から学んだことを中心に、被災当初から現在に至るまでの経過をお話しさせていただきます。福島県は裏磐梯、会津、相馬、いわき地区とそれぞれに自然にあふれた県でした。また桜の木も多く樹齢千年と言われるきれいな桜の木もございます。今回は1000年に一度と言われる大震災が起こり、様相が一変してしまいました。2011年3月11日午後2時46分に発生した大震災です。この震災により県の中通りは震度6強の地震に見舞われ、建築物が被災しました、また、沿岸部は大津波におそわれ、相馬、いわき地区が被災しました。この中、福島県立医大も被災しましたが、人的被害はなく、施設被害は軽微にとどまりました。しかし、断水により病院としての機能はかなり制限されました。そして福島県立医大から57km離れた福島第一原子力発電所では炉心冷却の機能が停止し、大災害を引き起こしていました。この震災の発生から福島医大ではスライドの様な対応を行ってきました。被災から、その対応は超急性期、急性期、慢性期、この先には遷延期といいますか、現在まで続く、震災対応が行われております。1週間以内の超急性期では震災被災患者受け入れが中心でした。1週から2週の急性期には沿岸の病院から搬送されてくる患者の対応に当たりました。2週目以降の慢性期では避難民に対し巡回医療が行われました。これに並行しまして被災後1週目からは原発事故対応が行われ、眼科では独自に避難所の診療を行いました。これらの経過を経時的にお話しさせていただきます。まず被災当初からの状況です。3月12日15時36分 1号機水素爆発3月14日11時01分 3号機水素爆発

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