FUKUSHIMAいのちの最前線
364/608

358日本整形外科學會雜誌第86巻第2号「第85回日本整形外科学会学術総会抄録集Ⅰ」掲載紺野 愼一 菊地 臣一福島医大整形被災地における大学病院の役割 2011年3月11日東日本大震災が発生した.福島県立医大では,DMAT(災害派遣医療支援チーム)35チーム,約180名と福島医大医師,学生,研修医が地震被害患者の救急医療に従事した.福島第一原子力発電所の1号機の爆発が起きたのが3月12日,3号機の爆発が起きたのが3月14日で,福島第一原発は制御不能となった.3月11日21時23分に半径3㎞以内避難が指示され,3月12日11時20分には半径10㎞以内の避難指示,3月12日21時には半径20㎞以内が避難指示,そして3月15日15時半には半径30㎞以内が屋内待避指示となった.そのため,避難患者の搬送,入院が必要となり,混乱の中での撤退作戦が行われた.半径20㎞以内で約1000名,半径30㎞以内で約1000名,合計2000名の避難が必要となった.県外搬送と被曝スクリーニングを福島医大が行うこととなった.環境放射能測定は24時間体制で行われた.さらに,患者移送,介護,外来患者トリアージ,総合案内,住民サーベイランス,炊き出しボランティアが全学で行われた.現時点では,原発における大中小規模事故災害の対応,長期化する避難民の健康管理,福島県全体の地域医療再構築,そして福島医大の学生,職員,患者などの心と体のケアが行われている.学長を中心とした情報の共有と指示機関の一本化が今回の事故の対応として重要と考える.すなわち,福島県防災対策本部と福島医大が連携を取り,各自治体や自衛隊との窓口を一本化し,情報を共有化できたことが混乱のない対応に不可欠だったといえる.

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です