FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線357自治医科大学整形外科学教室 同門会誌 第17号[平成23年10月]会員寄稿掲載福島県立医科大学医学部整形外科 紺野 愼一(自治医大7期卒)近況報告 3月11日午後2時46分ごろ、マグニチュード9.0を記録する地震が東北地方太平洋沖で発生し、甚大な被害が各地で発生しました。災害発生から4ヶ月以上経過しましたが、福島原子力発電所からの放射能漏れ対策のめどが現時点でも明らかではなく、不安な日々を過ごしている方々が大多数です。このような状況下であっても、大多数の福島医大の職員は、冷静に、患者さん第一にがんばることが見事に実行されていることに感服しています。福島医大の地震による人的被害は幸いありませんでした。施設被害は軽微でしたが、断水が8日間ありました。そのため外来は休止し、定期手術も休止となりました。超急性期は災害用に特化して医療業務が行われました。福島県立医大では、DMAT(災害派遣医療支援チーム)35チーム、約180名と福島医大医師、学生、研修医が地震被害患者の救急医療に従事しました。 福島第一原子力発電所の1号機の爆発が起きたのが3月12日、3号機の爆発が起きたのが3月14日で、福島第一原発は制御不能となりました。3月11日21時23分に半径3㎞以内避難が指示され、3月12日11時20分には半径10㎞以内の避難指示、3月12日21時は半径20㎞以内が避難指示、そして3月15日15時半には半径30㎞以内が屋内待避指示となりました。そのため、避難患者の搬送、入院が必要となり、混乱の中での撤退作戦が行われました。3月11日に相双地区への診療応援に行っていた2人の整形外科の教室員は病院の職員とともに徹夜で業務を行ってくれました。半径20㎞以内で約1000名、半径30㎞以内で約1000名、合計2000名の避難が必要となりました。県外搬送と被曝スクリーニングを福島医大が行うことになりました。中継搬送患者175名を受け入れ、うち入院が125名でした。被曝のスクリーニングは約500名で、うち除染が必要となった人が10名でした。整形外科は外傷患者の治療が速やかに行えるよう、全国の医療器のメーカーの協力を得て、外傷治療に必要な手術器械を集め、24時間体制で待機していました。震災2週間以降は、避難民への対応が行われました。広域の医療緊急支援として、高度医療緊急支援チーム、そして地域家庭医療チームの二本柱で避難民の対応を行いました。原発事故対応としては、高度被曝者11名の除染と3名の入院、そして被災者放射線サーベイを必要とした人は約500名でした。菊地学長を中心とした情報の共有と指示機関の一本化が今回の事故の対応として極めて重要なポイントとなりました。すなわち、福島県防災対策本部と福島医大が連携を取り、各自治体や自衛隊との窓口を一本化し、情報を共有化できたことが混乱のない対応に不可欠だったと考えます。 基礎医学講座、研究所、看護学部など全学からの協力が得られました。環境放射能測定は24時間体制で行われました。さらに、患者移送、介護、外来患者トリアージ、総合案内、住民サーベイランス、炊き出しボランティアが全学で行われました。整形外科の教室員は誰一人離れることなく、淡々と業務を行ってくれました。これは、私にとって最も誇れることです。福島県では災害はまだ全く収束しておりません。今後の課題として、原発における大中小規模事故災害の対応、避難地域拡大に伴う患者搬送支援、長期化する避難民の健康管理、福島県全体の地域医療再構築、そして福島医大の学生、職員、患者などの心と体のケアが必要です。

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