FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線353ことを意味する。 今回の震災では,social networking serviceなどのネットワークによって,現地のニーズは何か,最適な搬送経路と手段は何か,支援に向けられるリソースがどこにどれだけあるのか,などの情報が迅速に全国を駆け巡ったと言われている。しかし,被災地の真っただ中で活動しているわれわれには,これらの情報をチェックする余裕はなく,実際の救護活動にどれだけ貢献したかは,今後の検証が必要である。1.福島第一原発事故に伴う,避難と情報伝達 発災当日は3㎞圏内であった避難命令地域が,その後徐々に拡大された(表1)。それに伴い,当該地域内にあった医療機関に入院中の患者を域外に搬送することになった。当初はまず屋内退避区域であった福島第一原発から20㎞以遠30㎞圏内にある医療機関へ搬送を行った。しかし,水,食料,業務用重油,ガソリン,医薬品などの不足により,20~30㎞圏内の医療機関も病院機能が維持できなくなり,さらに広域の患者搬送を行う必要に迫られた。そこで,内閣府,DMAT,本学災害医療コーディネーター,自衛隊,海上保安庁,消防,防災,警察の合同チームで,隣県災害医療拠点病院への広域搬送ミッションが実施された(広域医療搬送の概念については,内閣府の防災情報ページhttp://www.bousai.go.jp/3oukyutaisaku/kouiki.htmlを参照)。 今回の広域搬送ミッションは,福島第一原発から20~30㎞圏内の医療機関に3月18日時点で入院中の約450人を,19~21日の3日間で,新潟,群馬,栃木,埼玉,茨城の災害拠点病院へ搬送することであった。本県の広域医療搬送計画は,原発事故により複雑化した。医療機関を出発した患者たちは,いったん30㎞圏外に設置された放射能汚染スクリーニングポイントを通過しなければならず,さらに,20~30㎞圏内は屋内退避区域ということから,当該域内で活動が許可されたスタッフ数が制限された(図1)。搬送効率を考え,活動可能スタッフ数が制限された30㎞圏内(域内医療機関からスクリーニングポイントまで)はピストン輸送とし,スクリーニングポイントから災害拠点病院までの部隊は別個に対応した。 広域医療搬送第1日目(3月19日)は,すべて陸送で行い,第2日目(20日)は,海上保安庁,陸上自衛隊のヘリコプターを投入予定であった。しかし,天候が悪く,空輸が実施できたのは午前1回のみであり,後の搬送はすべて陸路で行い作業は深夜に及んだ。 受け入れ先の医師,スタッフの皆様にも多大なご図1 県災害対策本部医療・救護班の様子表1 東京電力福島第一原発と第二原発経過3月12日第一原発1号機冷却水低下→圧力弁開放,第一原発3㎞以内退避,10㎞以内屋内退避→数時間後,10㎞以内退避第二原発3㎞以内退避,10㎞以内屋内退避第一原発1号機水素爆発→原子炉建屋破壊→第一原発20㎞以内・第二原発10㎞以内退避3月14日第一原発3号機で水素爆発→原子炉建屋破壊3月15日第一原発2号機で爆発音,第一原発4号機で火災→第一原発20~30㎞圏屋内退避指示

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