FUKUSHIMAいのちの最前線
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348 2011年3月11日,未曾有の自然災害が東北と関東地方を襲った。さらに,福島県立医科大学(以下,本学)のある福島県の原子力発電所では壊滅的な事故が発生した。現代科学が原発事故という挑戦を受け,県民はもちろん,国民が真価を問われることになる。本学は,福島県における医学・医療の中心として存在してきた。したがって,この時点から誰も経験したことのない新たな歴史的使命を課せられることとなった。すなわち本学は,この危機を克服するための努力のみならず,この事故のすべてを記録し,次の世代に伝えていく責務,そして将来にわたって県民や近県住民を含めた国民の健康管理にも責任を負わなければならないのである。 本学は県立医科大学であり,設置者は県知事である。本学のこれまでの取り組みには,地域医療崩壊に対応するための地域医療支援助手制度(県事業費により増員した助手90名が全県の病院へ医療支援),ホームステイ研修(地域の家庭に下宿する住民としての視線をもった研修)の構築,医療人育成・支援センター(医学部入学前から生涯教育までの全般的医師支援の取り組み)の設置などがある。これらの施策は「医療支援機関としての大学」,「教育機関としての大学」による地域医療貢献を志向したものであり,本学は「知」の拠点として,地域社会と密接にかかわってきた。 この大震災にあたり,本学は「県民の健康・安全・安心」を担保するというミッションを与えられ,地震・津波・原発事故という人類未曽有の災禍に,「大学は臨機応変に対処できるのか否か」をも問われたのである。 これまでの県との強力な連携が,災害時に奏功した。震災発生直後に,本学は県災害対策本部に常駐の調整医官を派遣した。臨床科の教授および講師という県内病院事情に精通し,各地の医師とも面識のある精鋭部隊である。災害発生時の混乱期の情報混乱と支援ミスマッチを防ぐためには,地域行政と医療機関の連携が必須の条件であり,普段から顔の見えない関係では,必要な情報の正確かつ迅速な把握や課題の共有による適切な対応を望むことはできない。「災害対策中枢機関としての大学」という新たな側面である。 同時に本学内では,学内災害対策本部が全学全職種ミーティングを頻回に行い,情報共有と全学の一致協力体制を築いた。1.原子力災害 3月11日の東日本大震災で,福島県は地震・津波による大規模災害に加え,「低線量・広範囲・長期的被ばく」という人類史上例をみない原子力災害(INESレベル7)の渦中にあった。そして,今もなお現在進行形である。はじめに 2011年3月11日の東日本大震災に続いて起こった東京電力福島第一原子力発電所(以下,福島第一原発)の事故発生以来,1年近くが過ぎ去ろうとしています。この間,全国の方々から,医療活動,被災地の復旧活動,避難所運営などの支援,義援金や物資などの提供,さらには福島県産農産物の応援など,幅広い分野で心温まる御支援をいただいてきました。誌面を借りて,心より感謝と御礼を申し上げます。 このたび3回にわたり,本特別報告を執筆する機会をいただきました。第1回に福島県立医科大学のおかれた状況,第2回に災害時情報伝達の重要性,第3回には福島が歩むべき未来について報告します。消化器外科 2012年3月 第35巻第3号 通巻第433号(へるす出版)掲載福島県立医科大学の役割と医療対応福島県立医科大学副理事長・器官制御外科学教授 竹之下 誠一福島県立医科大学救急医療学講座被ばく医療班 長谷川 有史東日本大震災特別報告(福島発)―悲劇から奇跡へ1序章県と本学本学の対応;原子力災害も含めて

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