FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線341 3月11日(金)14時46分地震発生.幸い建物に大きな被害はなく,当科入院患者にも転倒などによる受傷者はいなかった.エレベータは停止しており,入院患者は病室内で待機した.地震直後から福島市内は断水・停電・ガスの供給が止まったが,当院では自家発電により電気は通じていた.断水により外部からの水の供給は絶たれたが,備蓄の水により入院患者の食事の準備などは行えた.しかし,この時点では水道の開通時期が不明であり,節水の必要に迫られ,院内での血液透析が制限された.福島市内の市中病院でもこうしたライフラインの確保が深刻な問題で,停電により人工呼吸器を使えなくなった筋萎縮性側索硬化症の入院患者が当科へ転院した.被災直後はこういったライフラインの問題による転院や近隣住民の個別の救急外来受診が中心であった.この時期に救急外来から神経内科へ紹介された症例で気がついたのは,暖を取るために練炭を使い,一酸化炭素中毒による意識障害を呈した家族例が数例見られたことである.福島の3月はまだ雪が舞う寒い時期であり,電気・ガスが止まり灯油の入手も困難であったことによると考えられた.後から振り返り感じることは,あれだけの揺れに建物が良く対応できたということである.この部分では,おそらく阪神・淡路大震災の経験が生きていて,その後の耐震工事が有効であったのだろう.人間の知恵の優秀さに感激する.一方で,後から述べる津波以後の対応では,人の知恵の及ばぬ自然の力に畏怖することになる. 3月14日(月)からの外来診療は休止となり救急対応のみとなったが,外来患者の内服薬処方については,緊急時対応として院外薬局でこれまでの記録に基づいて継続処方することとなった.また,生化学検査は節水の必要から原則緊急検査項目に制限された. この頃になると,浜通り(福島県の太平洋岸地域)の津波被災地域や,福島第一原子力発電所事故に伴う退避区域の病院・老健施設などからの入院・入所患者の移送が始まった.救急車や自衛隊車両で移送され,状態の悪い患者は当院での数日の入院を経て県外の施設へ転院された.この時は数十人単位で一度に来院し,この他にも救急外来受診患者もいるため,当科を含め内科系診療科は「なんでも内科」として対応した.この時は内科系入院申し込み専用に1台のPHSを24時間交替で各内科系診療科の担当者(PHS当番)が持ち,救急外来や他院からの転院の際はすべてこのPHSに連絡し,PHS当番が診療科を越えて横断的に内科系各診療科に患者を割り振り,診療にあたった.震災後の混乱の中では,往々にして情報が錯綜しがちであるが,連絡先を一本化 2011年3月11日,東北地方太平洋沖にマグニチュード9.0の地震が発生した.本稿では東日本大震災後の医療活動および組織対応,日常生活への影響について概説する.福島県立医科大学における東日本大震災後の活動2011年5月30日受付;2011年7月12日受理J-STAGE早期公開日:2011年7月22日連絡先:杉浦嘉泰 〒960-1295 福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部神経内科学講座.Correspondence to: Y. Sugiura, Department of Neurology, Fukushima Medical University, School of Medicine, 1 Hikarigaoka, Fukushima 960-1295, Japan(e-mail : y-sugiura@umin.ac.jp)1.超急性期(地震発生-数日)2.急性期(被災数日後-10日間)産衛誌2011;53巻東日本大震災特集「話題」掲載神経内科医の立場から杉浦嘉泰,宇川義一福島県立医科大学医学部神経内科学講座What Did We Do in Fukushima during the Disaster? Report from Department of NeurologyYoshihiro SUGIURA and Yoshikazu UGAWA�Department of Neurology, Fukushima Medical University, School of Medicine

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