FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線321を桁違いのものにしました。 原発事故が明らかになった瞬間、発電所から約57.8キロメートル離れた大学内にも大きな動揺が生まれ、精神的に浮足立った状態になったのは確かです。自身や家族の身の危険への恐怖と、まったく想定外な出来事にどう対処すべきか見当がつかない焦り。特に、科学的知識を持っている医師、医療従事者だからこそ、原発への不安は他職種の方々よりも深く、殺気立っていたと言ってもいいでしょう。いずれにしろ、このままでは大学も行政も精神的に総崩れになり、県民にいちばん必要とされる医療が立ちゆかなくなると感じました。福原 そこで、すぐに菊地先生は、放射線のリスクコミュニケーション(正確な情報をステークホルダー間で共有し、相互に意思疎通を図る合意形成の手法)の専門家の招へいを決められた。菊地 震災発生後2~3日、原発事故が発表され近隣住民に避難指示が出るころには、長崎大学と広島大学に連絡をとって、専門家の派遣を要請しました。原発事故による放射能被害は、病院の放射線医学とはまったく違います。放射線のリスクコミュニケーションを図れる人材は日本に5人といないでしょう。幸いにして私の呼びかけに応じ専門家がすぐに当地を来訪してくださり、医科大学関係者、県庁関係者に講義を行って、不要に広がりつつあった混乱を収めてくれました。福原 招へいされた方のご研究領域は?菊地 ベースは放射線による生物学的影響の専門家です。放射線生物学の専門的知見が、想像以上に関係者の不安を払しょくしてくれました。私たちは放射線、放射能について知らなすぎたと、つくづく感じました。これほど原子力発電に依存する日本なのですから、義務教育を含めた国民教育に放射線の生物学の基礎知識が組み入れられていてしかるべきではないでしょうか。福原 菊地先生は、放射線のリスクコミュニケーションの必要性に何故それほど速やかに気づかれたのですか。菊地 自分でも、よくわかりません(笑)。「瞬時にそう考えた」としか申し上げようがないですね。ただ、大学関係者がパニックを起こしかけているとわかった瞬間、私自身、恐怖で鳥肌が立つ思いでした。私の覚えた恐怖は「大学が総崩れになれば、医療不全の事態になる」です。医療が崩壊した混乱が、関東地方、東京にまで及ぶイメージが湧きました。どうにかしなければならないと頭をフル回転させ、反射的に「知識がないから妄想に近い不安が起こる。正しい知識を持てば冷静になれる」との考えにいたったようです。菊地 私は今回の災害を通して多くを学びましたが、なんと言っても痛感させられたのは、「救援する者にも支援が必要だ」という事実です。福原 医療従事者を対象にした、放射能への恐怖に対するリスクコミュニケーションでしょうか?救援者に対する支援もなくてはならない大混乱の中、放射線の専門家を招へい福原俊一京都大学大学院医学研究科医療疫学分野教授米国内科専門医(FACP)ふくはら・しゅんいち●1979年北海道大学医学部医学科卒業・横須賀米海軍病院にてインターン、1980~83年カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部内科レジデント、国立病院東京医療センター、1989年ハーバード医科大学客員研究員、1991年東京大学医学部講師、2000年現職、2000~2002年東京大学教授併任、2012年福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センター国際連携部門客員教授

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