FUKUSHIMAいのちの最前線
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304東日本大震災から1年:被災地の今復興が本格化するという印象を受けました。 先ほどお話しした災害医療の寄付講座も4月1日のスタートですし、いろいろなことが一斉に動き出します。周囲は驚くかもしれませんが、「福島医大復興ビジョン」を作成したのは昨年7月であり、我々にしてみれば、準備してきたことです。公立なので議会の同意人事が必要なこともあり、この点は時間がかかりましたが。 さらに大学の役員も4月から変わりますが、キーワードは「地域医療」です。大学のミッションとして「地域医療」を掲げるのは珍しいことかもしれませんが、“医療崩壊”がある日、突然起きたことは、歴史上ないでしょう。人口構成が変わった中で、放射能汚染がある地域で『共生』することは、未踏の荒野に踏み出すのと同じ。震災後、県外に流出する医師は100人を超えるでしょう。原発地域だけではなく、中通り、会津地方も含めて、医療の再構築が必要。 2013年5月には会津医療センターができます。本学の立て直し、そして「福島医大復興ビジョン」の実施。大学が抱えるこれら三つの事業に共通するのは地域医療。これらは大変な事業であり、役員人事もそこに当てはめて実施しました。──会津医療センターは、震災前から準備を進めていたとお聞きしています。 はい。病床数は230床で、既に約40人のドクターも集めました。──それらのドクターは、県立医大に在籍していた方ではない。 全国から集まるドクターです。会津医療センターは入院主体で、地域のニーズを踏まえて運営します。一番多かったのが血液疾患への対応なので、血液内科を作ります。それから、超高齢社会のモデル地区とも言え、東洋医学センターも設置し、入院病棟も持ち、終末期医療までカバーします。これは全国でも例がない。会津には、「御薬園」があり、以前は漢方薬を栽培していましたが、今はすたれてしまっています。今回は漢方薬の原材料の栽培から始め、地域産業の創出にもつなげます。これは新しいコンセプトでしょう。──福島県の調査によると、福島県内の病院の常勤医は、2011年3月1日には2013人でしたが、12月1日の時点では1942人で71人(3.5%)減少したとのことです(『医師支援のミスマッチ、コメディカル派遣が課題』を参照)。 この3月の年度末でもっと辞める医師が増え、恐らく100人を超えるのではないでしょうか。──その一方で、災害医療の講座開設に伴い、それだけで10人程度の医師が来る。また2012年度の医学部定員は15人増で125人にされ、しかも倍率も高い。 そうです。倍率は昨年よりも高くなっています。恐らく受験者が少ないと思われたからでは。──その点に関しては、安堵されている。 先ほども言いましたが、私がこの場にいるのは、「天命」。だから、「福島に来てください」とおねがいするのは、潔いとは思わないのです。自らの意志で来たいと考える人に来ていただきたい。残りたいと思う人が残ればいい。残る気がない人を無理に止めても仕方がなく、引き止めることはしていません。それはその人の人生観であり、引き止めて残ったとしても県民のため、患者さんのためにはならないからです。今回の原発事故により、人の生き方、死生観を問われたと感じています。今までどう生きてきたのか、これからどう生きるのかが、原発事故で鋭く突きつけられたという思いがします。今でもその思いがあり、私自身、人生観が変わりました。──災害医療講座や会津医療センターの医師は、どのように集めたのでしょうか。 こちらから適任者を探して、声をかけた方です。去る医師もいれば、我々に賛同して来る医師もいる。「支援」は、自分ができることを、できる時にできるだけやれば長続きする。無理したのでは続きません。地域住民の目からすれば、「支援」で一番重要なのは継続性です。継続性が担保されなければ、医療を受ける側も大変であり、「新しい先生が来た」「また変わった」といった状況では、患者さんの安心感の醸成につながらない。──福島に、復興のための「医療特区」構想があるとお聞きします。「福島医大復興ビジョン」とは関係があるのでしょうか。 まだ決まりませんが、このビジョンとは関係はありません。ただ、福島県全体で、看護師さんをはじめ医療者人口が減っているので、平時と同じ施設基準を当てはめられても困るわけです。7対1入院基本料が取れないから、報酬を減らすとなると、残っている組織、がんばっている組織は疲弊して燃え尽きてしまう。だから診療報酬の施設基準などを緩和しないと、とても持たない。大学でも厳しいのです

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