FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線287福島医大学長・菊地臣一氏に聞くしてもらいました。──大学では毎日、対策会議を開催していたのですか。 はい、震災当初は1日数回、本学の災害対策本部幹部による会議を開催していたほか、全職員が参加する全体会議も講堂で毎日開催していました。3月18日、山下先生に最初に講演してもらったのは、この全体会議の場です。広島大学からは原爆放射線医科学研究所長の神谷研二先生に来ていただきました。 放射線問題については当初、我々は知識がなかったので、職員は完全に浮き足立っていた。広島大学、長崎大学の先生方に、本学の職員はもちろん、県に行って知事以下、幹部にも話をしていただきました。これにより、かなり落ち着きました。「安全」だと認識できると、安心して働けるのです。これが一番、ポイントだったような気がします。──山下先生や神谷先生に来てもらうというアイデアは、どなたの発案ですか。 私が広島大学と長崎大学の学長に直接電話をして、両氏の名前を挙げ、「来てほしい」と依頼しました。両大学とも、お二人の先生だけでなく、スタッフも大量に派遣してくださいました。これにより、職員の動揺を抑えることができ、非常にうまくいきました。その後、4月2日には、広島大学と長崎大学と、連携協定を結んでいます。 全体会議の一番の目的は、情報の共有化。何があったのか、どんな変化があったのか。原発事故の新しい状況の報告、それに対する対応などを話しました。初期は毎日、朝晩の2回、開いていました。その後、徐々に各種会議の回数は減り、6月からは本学の災害対策本部幹部の会議も、週1回になっています。──朝晩、全体会議を開くのは大変かと。 それくらいやらないと、皆が不安だった。情報の共有化によって安心感を得ることは、非常に大切です。その時に一番重要なのは、「Face to face」でやること。電子メールなどではダメです。会議を開けば、その場で質疑応答もできます。 これらの初期の対応は、患者さんの退避も含めて、極めてうまくいったと思います。放射線医学の臨床・研究開発の拠点を創設──今後の課題についてお伺いします。 一つには、福島第一原発周辺の相双地区の医療体制の問題があります。相双地区では、9つの病院が完全機能停止、4病院は外来のみの診療になっています。県立大野病院と双葉厚生病院はこの4月から統合する予定でしたが、両方とも緊急避難区域にありますから、この話も止まったままです。では、警戒区域や計画的避難区域が解除され、住民が戻った時に、この地域の医療体制をどうするか。非常に頭が痛い問題です。──県立医大では、放射線による健康問題をはじめ、様々な課題に対応していく必要もあるかと思います。 私が県に対し、あるいは記者会見の場で言っているのは、「福島医大には、新たな歴史的使命ができた」ということです。我々は将来的な視点も踏まえ、「福島医大復興ビジョン」を作成しています。副題は、「悲劇から奇跡へ」です。既に政府の震災復興会議にも提言しています。 幾つかのビジョンを盛り込んでいますが、最優先事業は、(1)県民202万人の長期的健康管理調査、(2)最先端診断・治療拠点の整備による早期発見・早期治療、(3)創薬・医療福祉機器等の開発拠点の整備、(4)放射線専門医療人の育成──です。 原子力災害に対しては、まず現在の健康状態への不安があります。県民への健康管理調査は既に始まっています。それから、将来にわたる不安に対応するためには、低線量で長期の被曝を受けた際の健康管理を30年は続けていかなければいけない。そのための体制整備も進めなければなりません。さらに、仮に何らかの健康被害が生じた場合に備えて、その早期発見や治療の体制を整えるとともに、新たな治療法の開発も必要。さらに、これらを支える医療人の育成も重要です。これらを一体的に進めていく予定です。 「福島に住めば、健康で長生きでき、病気にならない。きめ細やかな予防対策が行われ、病気になっても最新最良の医療を受けられる安心」の提供を目指します。さらに、こうした拠点を作れば、医師をはじめ、医療者が福島に定着するようになることが期待され、医薬品等の研究・開発等の拠点も作れば雇用創出にもつながります。福島医大復興ビジョン、「悲劇から奇跡へ」

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