FUKUSHIMAいのちの最前線
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特別インタビューFUKUSHIMA いのちの最前線275悲劇から奇跡へら「この透析患者は水がある東京へ送る」「この患者はここで即手術」「避難所へ送りとどけてから対応する」といったように患者の分類がスムーズにできました。それに医大が県立であったがために県の対策本部との間にあらゆる情報がギャップや時間差なく共有できたことも大きかった。医大が国立だったらこうはいかなかったでしょう。ただし、これも大学と県との意志疎通が円滑であったという事実が前提にあっての事です。これは次世代へ伝えたい事のひとつです。──その機能、体制は必ず受け継がなければならないですね。菊地 そうです。それから電気系統の複線化と水の供給体制の複線化も必須です。水道は止まったままの状態が長く続きました。ガソリンも、食料もない。我々には自衛隊のように自己完結能力がないですから、患者への支援はできても、医療スタッフへの支援がありませんでした。もし、断水があのまま2週目に持ち越したら、撤退するしかなかったのです。そんな中、多くの善意に支えられながら、我々は結束して持ちこたえたのです。県民健康調査の結果は?──ズバリお聞きします。震災後に各戸に届いた県民健康管理調査の回収率が悪いようです。誰もが地震発生直後の記憶は、なかなか辿れないものですが、質問事項は細部にわたっていて面倒だとの声もあります。調査の必要性はあるのでしょうか。菊地 確かに周囲からは「200万人もの調査など世界でもやった事ない、できっこない」「ネガティブな結果しか得られない」などの声もありますが、逆にこれを実施しなかったら、今後どうなるのか、とも思うのです。──県民の安心につながるということでしょうか。菊地 調査書類の提出は、子のため孫のため、そして自分のために必ずつながります。煩雑公立大学法人福島県立医科大学理事長兼学長 菊地臣一悲劇から奇跡へ特別インタビュー 2011年3月11日、福島、宮城、岩手の東北3県を未曾有の大地震、大津波が襲った。福島県は原発事故も重なり、放射能汚染が広がった。福島県立医科大学は事故発生以来、昼夜を問わず負傷者の救援、放射能への対応に奔走、今は福島県民の復興に向けた取り組みへの支援も続けている。災害・事故の発生以来、今日までの福島県立医科大学の姿を記録した「FUKUSHIMA いのちの最前線」の発刊に当たり菊地臣一理事長兼学長は特別インタビューで「福島の悲劇を奇跡に」の理念の下、「すべての記録を正確に後世に伝える」ことの必要性を強調。さらに多様な具体策を示しながら50年後、100年後の福島県民の健康を守っていく闘いを「福島独自の力」で勝ち抜く決意を力説した。�(聞き手:高田優美)

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