FUKUSHIMAいのちの最前線
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248東日本大震災と引き続く放射線被ばく問題について相馬市鹿島区の鹿島厚生病院は,福島第一原発からは約32㎞のところにある.この病院には常勤の整形外科医はおらず,大学からの派遣で震災前は週に3回(全日が2回,午後のみが1回),震災後は5月の連休明けから週に4回(全日が3回,午後のみが1回)の外来診療を行っている. 震災前後の外来受診患者ののべ数の推移を図1に示す.患者数が減ったのは,震災後,病院を一時閉鎖したためである.一方,2011年(平成23年)12月末現在の南相馬市自体の人口は,震災前の6割程度とされているが,患者数が増えたのは,病院周囲に仮設住宅が多数建てられ,高齢者の受診者が増えたためである.しかし,仮設住宅には,義務教育を受けている子供は少ない.高齢者は自宅に近い仮設住宅で,子供たちは放射線の影響を避けるため他の地域で暮らしており,家族がバラバラな生活を強いられている家庭が多いという現実がある. 福島第一原発1号機の水素爆発以前に圧力弁を開放した段階で,一般住民への放射線被ばくの可能性が生じた.圧力弁の開放の効果もなく,12日には1号機で,14日は3号機で水素爆発が生じ,15日には2号機で爆発音が聞こえ,4号機が火災となった.記録によれば,12日の夜には,被ばくの疑いがある住民4名が,はやくも大学病院を訪れている.以後,放射線科・放射線部が中心となり,福島第一原発20㎞圏内からの患者など,被ばくが疑われる患者については,被ばくスクリーニングをして,シンチレーションカウンターで10万カウント以上を被ばくありとして,除染を行った.実際に除染が必要と判定される10万カウント以上を示す患者は極めて少なく,仮にカウント数が多くとも,靴や衣服を脱いだり,洗髪しただけで,カウント数は激減した. 大学内では,さらなる大規模爆発が生じたときはコードレッド(窓を閉める,換気を止める,外出禁止等)を発令すると告知されていた.しかし,幸いなことに,一度もコードレッドの発令はなかった.しかし,コードレッドの内容が告知されたときは,今後に対する漫然とした不安が院内,学内に拡がったのは事実である. 大学病院は,二次被ばく施設として,福島第一原発での作業員等が高度の放射線被ばくを受けたときの初期診療と除染を行い,三次被ばく施設へ転送するか,そのまま当院で加療をするかということを判断する必要があった.3月14日から30日までに福島第一原発から合計11名が搬送された.いずれも大事には至らなかった.除染後,手術的加療が必要な場合には,すべての機器をビニールでコーティングした手術室で対応する予定であり,患者の搬送や手術室で模擬手術といったことを現在でも定期的に行い,不測の事態に備えている(図2).実際には,整形外科的外傷で搬送される頻度が高いのではないかということで,整形外科医もこのシミュレーションに参加している.震災以後現在まで,幸いなことに,高度放射線被ばく者に対して手術室の使用に至った例はない.放射線被ばくに対する対応図1 鹿島厚生病院における整形外科外来患者数の推移震災後、病院を一時閉鎖したため、一時、患者数は減少した。しかし、病院周囲に仮設住宅が多数建設されたことにより、現在では震災前を上回る患者が受診している。表1 震災関連整形外科入院患者数(2011年3~6月)地震、あるいは津波の直接被害により生じた整形外科的疾患の入院患者数を示す。福島県全体の調査数ではないが、入院を要する直接の震災関連の整形外科患者は、予想されたほど多くはなかった。震災関連整形外科入院患者数全科病床数3月4月5月6月いわき1814941,034県北3825581,322郡山・県中・県南2310631,106会津・南会津2554260

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