FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線239か覚えていません。ただ私が今でも覚えているのは,「災害との出合いというのは避けられない,だったらもう肝を据えてこの事態に対応するしかない」,ただこれだけ感じたことをよく覚えています。 そして緊急被ばく医療をやりましょうということで,立ち上げました。職員も非常に怖がっていますので,まずは緊急被ばく医療というのは一定のリスクがあるんだよ,どんな医療も同じだけども,ということを明言しました。通常,一般住民は事態収束まで避難するのが当然ですが,われわれは危機介入者だから,事態収束のために努力するけれどそれは危険を伴うということを,まず申し上げました。そして組織の中で目標を共有しようと努力しました。 1つはわれわれの目的は,原発事故の早期収束であって,そのためには一生懸命働いている2,000人の作業員の健康,安心,安全を支援するのは当然であるということ。そしてあれが悪いこれが悪いと考えがちですが,敵は具体的には原発事故で,特定の企業ではない。 それから危機介入のための準備を行いました。具体的には除染機能を確保しましたし,それから放射線防護策と汚染拡大防止対策を整備しています。そして知識と技能も何もなかったので,勉強会とシミュレーションを繰り返し,web会議を通じてわれわれの立ち位置を知りました。 毎朝,他職種ミーティングを10時から行い,原発の最新情報や問題点は未解決のものと解決済みのものと明確にするなどして,ともかく一体感を出す努力をしました。ですから広島大や長崎大の人がいて,福島の僕がいて,JAEAさんがいて,自衛隊さんがいてと,かなり他職種,多施設の被ばく医療だったと思います(図7)。 被ばく医療の知識と技能維持のために,7月までは,毎週月火水と院内勉強会を行っており,月曜日は核,火曜日は外傷,水曜日はその他,あと木曜日は隔週でシミュレーションとそのビデオ反省会を専門家の指導の下で行いました(図8)。 最悪のシナリオも一応,2回ぐらいシミュレーションしましたが,もう思い出したくもありません(図9)。 われわれの病院は図10のようになっており,手前側のヘリポートは主にドクターヘリが使用しています。当初原発内の被ばく傷病者は,右上のグラウンドに自衛隊大型ヘリで搬送され,その奥の体育館で治療を行う予定でした。 除染施設に関しては7月までは図11のようなファシリティがございましたが,8月1日より撤退し,今は有事のときに新たに組み上げるというかたちで対応しています。 図12に搬送の流れを示します。緊急の場合には救図6 クライシスコミュニケーション図7 多職種ミーティング,Web会議図8 被ばく医療の知識と技能維持,院内勉強会と シミュレーション原発作業員への被ばく医療

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