FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線209的・精神的疲弊は4月に極限に達し、消防機能の維持すら困難なところまで追い込まれた。彼らは今、「現在原発内で活動していないことが後ろめたい。突発事故が起きたら突入する責務がある」と話す。 中日本航空株式会社は民間企業であるにもかかわらず、震災後早期からドクターヘリ運航を再開し、他のヘリと比較して救命活動に最も多く関わった。彼らも「数日でも福島から離れたことが後ろめたい。我々は福島の救急に貢献する責務がある」という。 地域医療の荒廃:いわき市内の状況は前述したが、Jヴィレッジ近隣の広野町、楢葉町の医療機関もわずか2施設で、うち1施設は外来のみだ(11月現在)。この地区の医療荒廃は、慢性疾患を抱えた1F作業員の長期フォロー等にも影響する。これは医師臨床研修制度導入を契機に地方全域で顕在化した問題だ。 被ばく医療機関の絶対的不足:現在、福島県で公的に被ばく傷病者を受け入れるのは福島医大のみで、複数の汚染傷病者に十分な対応ができない。問題の根底には地域医療の荒廃が存在する。地域医療の復興なくして、被ばく医療体制の再構築はない。 被ばく医療教育:福島県では年明けから医師向けの教育を行う。しかしこれは福島県だけの問題ではない。大規模原発事故を起こした国として、全医療者に一定の放射線影響と被ばく医療の知識を周知すべきではないか。 特定機関への負担依存:上述2団体が社会貢献のために払ったリスクを社会が適切に評価することは当然として、今後間違っても彼ら特定機関が人身御供的に危険業務を強要されることのないよう見守ってほしい。原子力災害の現場対策が、政治の派手なデモンストレーションに利用される恐れもあるからだ。 被ばく医療に携わる者の中で、発災から今日まで一度も充実感や達成感を感じたことがないのは私だけではないだろう。共通して「想定が非現実的だった」「システムが崩壊した」「現場の力になれなかった」と後ろめたさを感じ、何かに突き動かされるように被ばく医療に従事している。我々を結び付けるのは、この「漠然とした後ろめたさ」と、そこから生まれる「責務」かもしれない。 カウンセラーは「故意に犯した罪以外の事象を後ろめたく感じる必要はない」「個人の能力を超えた責務を抱えることは結果的に責務実現の妨げになる」と戒める。しかし何もしなければ誰も解決してくれない問題が多い。 今起きている問題の責任は今しか取れないことは、日本の歴史が証明している。解決を先延ばしにして、2度目の「後ろめたさ」を感じたくはない。原子力災害の現場で働く方の健康安全安心を確保するため、ひいては原発事故早期収束のために、政治・信条・思想によらず「医療者としての責務」を果たしたい。 思えば私を含め多くの国民が電力の恩恵は享受しながら、原発には関心が薄かった。それに国民は後ろめたさを感じるべきであり、今後のエネルギー需給や被ばく医療、放射線影響を自分の事として考える「責務」がある。しかし人間は忘れやすい生き物だ。 学会の帰りに目にした光輝く都会のイルミネーション、眩いショーウインドーに面食らった。復興の証として歓迎すべきかもしれない。だが、来年から原子炉内で作業員が作業を行うのだ。医療現場では、現在の被ばく医療体制で汚染傷病者に十分な医療が提供できるのかが真剣に討議されている。医療の問題を、そして原発をどうするのか。原子力災害の現場では、まだ問題は何も解決していない。多くの問題を抱える被ばく医療原子力災害は全国民の問題

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