FUKUSHIMAいのちの最前線
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206緊急被ばく医療体制と東電原発事故災害への対応および今後の課題学に設置されているモニタリングポストのモニターの警報が鳴って,初めて福島市への本格的放射能汚染が始まったことを知らされた(図2)。警報が鳴る以前のデータを振り返ってみると,15日午前からときどき放射能濃度の上昇がみられる。モニタリングポスト(図3)は,本来の役目は核医学病室からの漏洩,保管廃棄施設からの漏洩をモニターするものである。附属病院の放射線管理機器としての環境モニタリングポストが,今回の状況では原発事故による放射能の飛散状況の評価と記録として,また地域での放射能飛散状況判断に有効であることが明らかとなった。放射能の飛散による環境汚染 3月15日以降は,人数は少なかったが原発内での汚染を受けた傷病者(12名)の対応に追われた。訓練を受けていたはずであるが,初めての経験にとまどいながらの作業であった。また,実際には起こらなかったが,先のみえない状況での多数(100名程度を想定)の汚染された原発作業者や周辺地域住民の除染,安定ヨウ素剤の服用の可否とタイミング,傷病者の除染と治療,高度被ばく(1Svを超える)原発作業者への治療対応など,さまざまな可能性への対応を迫られ,そのたびに日本医学放射線学会,日本核医学会などの学会関係者に助言を求めた。幸いにそのたびごとに適切なアドバイスがあり,なんとかここまで乗り切れたと思っている。 この間,マスコミなどではさまざまな人達から,さまざまな発言が飛び出していた。「放射能が飛び散って危ない」,「いや今のレベルは安全だ」といった安全なのか危険なのか,百家争鳴で混乱をきたしている状態であったことから,5月中旬から日本医学放射線学会の防護委員会が開催され,学会としての見解をまとめることになり,この委員会のアドホックのメンバーとして加わった。その見解が『原子力災害に伴う放射線被ばくに関する基本的考え方』として,6月始めに公表された3)。 福島市では,3月15日~17日,3月22日に放射能の飛散が認められたが,その後は,新たな放射能の飛来はなく,地表面のセシウム汚染が定着した状態となり,空間線量率の高低が話題となり,汚染ならびに被ばくの評価と対応に関する問題が重要となった。 すなわち被ばく医療のあり方が問われることになった訳である。福島県立医科大学での緊急被ばく医療体制は,放射線科部長と救急科部長を中心に,医師,看護師,放射線技師,事務職員が院内から集まる臨時の組織となっている。それまでは「除染」という言葉が主であったが,これを機会にこの組織を「緊急被ばく医療班」と呼ぶことにして,活動を始めた。また,早い時期から長崎大学,広島大学,放射線医学総合研究所,自衛隊,日本原子力研究開発機構,原子力安全研究協会などのスタッフが駆けつけてくれた。大きな助けとなった。 本学の緊急被ばく医療班の目的は,高線量被ばくや高濃度汚染が考えられる原発作業者の医療対応が中心であるが,消防救急隊員などの健康管理支援,原発周辺地区住民の被ばくに関する医療支援などにも対応することになっている。しかし,原発立地の福島県「浜通り」地区は,まず一般地域医療の整備が最初に必要とされる状況であり,緊急被ばく医療だけの問題ではない。このような観点からも,早急な緊急被ばく医療ネットワークの再構築,現行の再図2 核医学のモニター図3 福島県立医科大学附属病院の モニタリングポスト

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