FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線197日本医事新報 №4565 2011.10.22「連載第1回 フクシマリポート」掲載福島県立医大被ばく医療班 長谷川 有史*放射線リスクの考え方−科学と哲学の狭間で− 原爆・核実験・チェルノブイリ原発事故に引き続き、不幸にして放射性物質が再び地上に拡散した。多くのフクシマの住民が放射線に対する不安を抱えている。私自身は、フクシマで暮らす原発が嫌いな無宗教の救急医だが、震災後から被ばく医療に関わってきた。 私が所属する「福島県立医大被ばく医療班」は住民に対するリスクコミュニケーションを業務の一つに掲げているが、最近の放射線リスクに対する国民の考え方の中には、フクシマに暮らす私ですら疑問を感じることがある。 現在の、フクシマ居住地域の放射線発癌リスクは、他の生活習慣に由来するものより低い。しかし国民の意識の中で放射線リスクに関する尺度が極端に厳しくなり、最終的にゼロリスクにならないと安心できない事態が生じている。放射線リスクを回避する行為の対価として、我々は他の大切なものを失っているのではないだろうか。放射線にだけゼロリスクを求め、それが実現しないために「未来不安」を感じてしまっている。多くの賢人が指摘するように、放射線リスクに関する現状認識改革と意識改革が早急に必要だ。 放射線から受ける発癌リスクは国立がん研究センターのホームページに分かりやすく説明されている(http://www.ncc.go.jp/jp/shinsai/pdf/cancer_risk.pdf)。警戒区域外で受ける放射線の発癌リスクは、大量飲酒、喫煙より低い。 放射線防護の観点からは、文科省の放射線審議会基本部会が、住民の人工放射線被ばく線量を年間20~1mSvとし、最終的には年間1mSvに近づける方針を固めた。私の住む地域でも十分に達成可能だと認識している。 また、首相官邸災害ホームページでは専門家がサイエンス(科学的事実)とポリシー(放射線防護:放射線被ばくは少なければ少ないほど良いという考え方)について明快に説明している(http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g16.html)。 では、日本の現在の低線量慢性被ばくは未知の事象なのか。そうではない。フクシマを除く多くの地域では、1960年代のフォールアウト(1940年代中頃から行われた大気圏内核実験により環境中に放出された人工放射性核種の降下)から受けていた内部被ばくは現在のそれと大差ないことを種々のデータが物語っている(高度情報科学技術研究機構ホームページ:http://www.rist.or.jp/)。その時代に幼少期を過ごした先人達が今日の長寿日本を築いたのだ。 我々は「幸福感」を失ってしまった。自動車を運転し、喫煙し、アルコールを摂取し、塩分過多・高脂肪食の生活を送ることのすべてにリスクが存在している。我々はリスクを受容しながら楽しく生活してきた。しかし、新たに加わった放射線リスクはわずかでも受け入れられないのが現状だ。ゼロリスク*はせがわ ありふみ 1993年福島県立医大卒。同大救急医療学講座助教。 本連載では福島で暮らす救急医で、福島第一原発事故後に立ち上がった「福島県立医大被ばく医療班」の陣頭指揮を執る長谷川氏が、原発事故や被ばく医療を取り巻く現状と問題点について報告します。放射線にだけ求めるゼロリスクゼロリスクを求めたために失ったもの

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