FUKUSHIMAいのちの最前線
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196日本医事新報 №4565 2011.10.22「人」掲載震災教訓に、福島を災害医療・被ばく医療の拠点へ 世界的な地名となってしまった福島県唯一の大学病院の病院長として、災害医療や緊急被ばく医療、全県民の健康管理など様々な課題に直面する現場の陣頭指揮に当たってきた。 震災当日は都内への出張中。福島に戻った村川さんが目の当たりにしたのは、原発の炉心溶融と水素爆発というわが国では誰も遭遇したことのない災害だった。後方拠点となった病院には、事故の負傷者が担ぎ込まれた。 「医大病院は二次被ばく医療機関に指定されており、当然その役割を果たせるだけの体制は整備していましたが、『まさか』という気持ちはありました。皆さん急性症状が出るような高度汚染ではなかったのが幸いです」 被災地の入院患者を避難地域圏外に搬送する中継基地としても機能した病院には、被ばく傷病者以外にも多数の患者が運びこまれた。「断水し、線量計の数値もどんどん上がっていく中で、みんなで協力しながらなんとか踏みとどまった」と振り返る。 「緊急被ばく医療には特に専門的な知識が必要ですが、一方では避難地域から搬送のために『患者を100人送る』というような電話が続く状況で、全職員がそれを訓練するわけにもいかなかった。そこで専門チームのリーダーになった長谷川(有史)先生と放射線科医、放射線技師に被ばく医療を任せ、他の職員が一般的な救急を担当するという体制を組みました。本当に一生懸命やってくれました」 震災から7カ月が経過し、診療態勢はほぼ元に戻った。しかし、全県民の健康管理・調査という新たな課題も抱える医大では今、人材不足の懸念が募っている。 「小さい子どもがいる若いスタッフを中心に、不安が広がっているのは事実です。来年卒業する医学生や看護学生、研修医もどれだけ県内に残ってくれるのか。それでも残っているスタッフはまさに必死に頑張っている。その背中を見て新しいパワーが育ってほしい」 「災害医療、緊急被ばく医療を実践した唯一の大学として、ここでしかできない教育プログラムを作りたい」と意気込む。“震災後”を見据えた取り組みは始まったばかりだ。在りし日の恩師、森健次郎前京大麻酔科学教授(前中央)を囲む村川さんら。「麻酔の日(10月13日)が先生の命日となったのには運命的なものを感じます」村川 雅洋さん Murakawa Masahiro 福島県立医大附属病院長1955年大阪府生まれ。80年京大卒。大阪厚生年金病院麻酔科、京大附属病院集中治療部講師などを経て、97年福島県立医大麻酔科学講座教授。2010年4月より現職。

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