FUKUSHIMAいのちの最前線
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190THE LUNG perspectives Vol.19 suppl.1「特集 東日本大震災下における呼吸器医療」(メディカルレビュー社)掲載東日本大震災:放射能汚染と避難命令への対応はじめに 2011年3月11日午後2時46分,東日本はマグニチュード9.0の巨大地震に見舞われた。福島市での地震は震度6弱,相馬市・南相馬市からいわき市に至る「浜通り」は巨大津波に襲われた。さらに,その中間に位置する福島第一・第二原子力発電所(以下,「原発」)は地震と津波により炉心冷却装置の電源を失った。第一原発では原子炉制御が不能となり,3月12日に1号機が,3月14日には3号機が水素爆発,東北~関東地域に放射能を含む粉塵が飛散した。3月11日午後8時50分には原発から半径2㎞以内に避難指示が出され,午後9時23分には半径3㎞以内,12日午前11時20分には半径10㎞以内,午後9時には半径20㎞以内へと避難指示範囲が拡大された。さらに,3月15日には半径20~30㎞内に屋内退避指示が出された。これにより福島県では,地震による建物などの倒壊に伴う外傷患者,津波による被災者,避難指示区域内入院患者の域外搬送,ならびに原発事故処理に従事する東京電力関係者の被ばくおよび事故など,多様な医療対応が必要となった。 福島県立医科大学(以下,「本学」)は福島県が設置する公立大学法人であること,災害発生直後より災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team; DMAT)拠点に指定されたこと,第二次緊急被ばく医療専門施設であることなどから,福島県における地震・津波・原発事故という複合災害発生時の医療の中核として機能しなければならない運命に立たされた。 本稿では,この複合災害の急性期における福島県内の医療体制の状況と,そのなかで本学がとった医療体制の概要を報告する。Ⅰ 福島県での震災被害 福島県内の震度は,白河市・須賀川市・二本松市などで6強,福島市・本宮市・郡山市・いわき市・相馬市・南相馬市などで6弱,その他地域でも5強~5弱程度の揺れを観測した。その後の津波で浜通りの市町村は壊滅的な被害を受け,それに原発事故が重なった(図1)。2011年7月5日時点で,死者1,726名,行方不明者231名。家屋被害は,全壊16,027棟,半壊30,599棟,一部破損96,037棟。避難民は82,845名に上り,福島県内に18,464名,県外に35,892名が避難している。 本学では,幸運にも学生・患者・職員には人的被害がなく,施設の被害も軽微であった。停電はなかったが,断水が8日間続いた。震災直後の超急性期は,災害医療に特化するため,初期2週間は通常外来診療を停止,定期手術も休止とした。全国から35のResponses of Fukushima Medical University to the compound disaster;Earthquake, tsunami, and nuclear power plant accident公立大学法人福島県立医科大学理事/呼吸器内科学講座教授 棟方 充�Mitsuru MUNAKATAKey words:地震,津波,原発事故,避難命令,被ばく医療Summary 2011年3月11日午後2時46分,東日本はマグニチュード9.0の巨大地震に見舞われた。福島県では,震度6強の地震と巨大津波,さらに,原子力発電所の炉心冷却装置電源喪失により炉心融解と水素爆発,ならびに広域にわたる放射性物質の飛散という複合災害となった。このため,建物などの倒壊に伴う外傷患者,津波による被災者,避難指示区域内の自力移動不能患者の域外搬送,ならびに原発事故処理に従事する東京電力関係者の被ばくおよび事故など,多様な医療対応が必要となった。福島県立医科大学は福島県が設置する公立大学法人であること,災害発生直後よりDMAT拠点に指定されたこと,第二次緊急被ばく医療専門施設であることから,否応なしにこの複合災害への対応を迫られた。本稿では,この急性期対応の概要を報告する。Ⅱ 地震による被害と福島県立 医科大学の対応(図1)

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