FUKUSHIMAいのちの最前線
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188JMS(ジャパンメディカルソサェティ)2011.8「大震災と原発事故で救急医が活躍」掲載安心して住める福島を取り戻す 各医学会の開催が通常ペースに戻り、各地で開催されている。ほとんどの学会が緊急に大震災をプログラムで取り上げ、現地からの報告などが相次いだ。医療者や専門家にとっても、被災地の医療支援は長く続く課題、関心事である。7月7日に東京都港区のホテルオークラで開かれた日本内分泌外科学会でも、緊急企画として福島県立医科大学の鈴木眞一教授(内分泌外科)が講演し、福島第一原発事故の経過と現状を報告した。鈴木教授は福島県災害医療調整医監も兼ね、医療面で原発事故に向き合ってきた。 3月11日の東日本大震災で、福島県立医科大学はまず、全国各地から参集した35チームのDMATの協力も得て、救急患者の治療に対応した。搬送されてきた患者は200人足らずで、意外に少なかった。3月13日からは、原発事故への対応が中心になり、終わりの見えない長い闘いが始まった。避難してきた人の被ばくをガイガーカウンターで検査し、汚染が認められた人には除染をした。これまで計20万人の被ばくスクリーニングをして、除染が必要だったのは102人だけだった。それも事故が起きた3月中に集中していた。福島原発から60㎞内陸に入った福島市の森の中にある福島県立医科大学は2次被ばく医療施設で、放射線科と救急科が合同で対応した。緊急被ばく医療の専門家集団が放射線医学総合研究所や広島大学、長崎大学から駆けつけた。 原発の水素爆発などで福島市も放射線線量が急増した。危機が頂点に達した3月15日には、「ドクターヘリ運航会社が退避し、原発作業者の搬送も相次ぎ、不安が錯綜した」と鈴木教授は語った。チェルノブイリ原発事故の健康影響に詳しい友人の山下俊一・長崎大学教授を福島空港(須賀川市)まで迎えに行ったのも鈴木教授だった。山下教授は3月18日に、福島県立医科大学の全学講演会でリスクコミュニケーションの重要性を訴え、その後、福島県の放射線リスク管理アドバイザー、福島県立医科大学特命教授として、県内各地で27回、1万人以上と対話してきた。鈴木教授は「連休の頃から、放射線リスクコミュニケーションに重点が移っていった」と話す。 次いで、鈴木教授は広島・長崎原爆やチェルノブイリ原発事故の健康被害を紹介した。「チェルノブイリでは、除染作業者の平均被ばく量は100ミリシーベルトで、避難した11万5000人の平均被ばく量は33ミリシーベルトだった。子どもたちが放射性ヨウ素に汚染した牛乳を飲んで、甲状腺がんが多発した。2011年までに6000人がかかり、15人が死亡した。事故の最大の懸案事項は精神的心理的影響だ」と指摘した。福島県では、現在、避難した人々や県民の低線量被ばく、汚染した水や食品による内部被ばく、原発作業者の急性被ばく、避難区域で働く人たちに、日本内分泌外科学会の緊急企画で鈴木眞一・福島県立医大教授が報告米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)が公表した福島第一原発の衛星写真。3号機が3月14日に水素爆発を起こした直後(テジタルグローブ・ISIS提供)

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