FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線131一斉に行うことは難しく、また放射線を気にして窓を開けたがらないという返答でした。避難者各自で身の回りのほこりだけでも拭き取ってもらうよう、支援物資の中から携帯ウエットティッシュを探し出し、それを配布してもらいました。〔在宅被災者の健康調査(3月29日〜5月31日)〕 発災19日目、他県医療救護チーム数が増え、避難所の医療活動が充実してきたため、私たちは市保健師と協力して、在宅被災者の健康状態の把握を目的に、訪問調査を沿岸部地域より開始しました。全戸訪問を目指し開始しましたが、訪問調査に携わる保健師の不足等があり、4月中旬から調査対象を高齢者や障がい者あるいは乳幼児のいる家庭等ハイリスクの世帯に絞り、訪問調査を継続していきました。この訪問調査では、適切な受療行動が行えていなかった人や介護サービス未利用者も掘り起こされ、市保健師と相談しながら適切なサービス提供機関にその都度つないでいきました。また、高齢者宅への訪問では、他者との交流の機会が少なくさびしさを感じている様子がうかがえたので、できるだけ声をかけ、話に耳を傾けるようにしました。 災害時の保健活動は、健康面だけでなく生活全般にわたる支援となります。実際、相馬市住民から受けた相談には放射線や健康面以外のことも多く、ガソリンや食料・生活用品がどこで購入できるのか、船の補償に関すること、住宅の修理に関すること、保育所を閉鎖していた期間の保育料の減額など様々でした。私は地域看護学実習で相馬市を長年担当していたので市の状況はある程度把握していたつもりですが、震災後日々変わる状況や細かな手続きなどは、市職員からの情報が欠かせませんでした。相馬市では、保健センターで1日2回医療スタッフミーティングを開催しており、そこで報告される市災害対策本部会議の情報が大変有効でした。③今回の災害支援活動での課題と看護系大学が果たす役割 日頃より実習等を通して市保健師とつながりをもっていたことや、被災地域の状況を多少なりとも把握していたことが、被災地での支援活動をスムーズにしたと考えています。また、今回の震災により、本学の新学期開始が1か月遅れたため、震災直後から4月までの期間は比較的多くの教員が災害支援活動に従事できたといえます。逆に考えれば、もし大学開講期間中にこの震災が発生していたならば、このような活動は困難であったともいえます。本学では、これほどの大規模な災害への備えをしていませんでした。特に、ガソリン不足は、被災地支援の初動の遅れの大きな要因となりました。車が唯一の交通手段である地域も多い福島県では、ガソリン確保はとても重大なことであったと痛感させられました。 相馬市では、6月中旬に避難所が閉鎖され、避難者は仮設住宅に移っていきました。元の生活に戻るまで数年〜十数年かかるでしょう。今後、仮設住宅への家庭訪問や仮設住宅に併設された集会所での健康づくり、コミュニティ支援と市保健師の活動は続いていきます。この震災を機に、従来の保健事業計画の見直しなどのコンサルテーションも必要になると思います。地元看護系大学として、人員派遣だけでなく、コンサルテーション活動を通して市町村を中長期的に支援し、復興に寄与していくべきと考えております。 さらに、教育機関として、この経験を教育に反映させていかなければなりません。本学は県内唯一の医科大学であると同時に、県内唯一の看護系大学でもあります。放射線被ばく医療に関する教育の強化をして人材を送り出していくことが、原発立地県にある教育機関としての役割であると思います。

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