FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線129してくださいました。私は「つらいですよね」と答えるのが精一杯でした。②避難者の気持ちや思いに耳を傾ける しかし、この高齢者の言葉が、それまでの私の避難者支援の考え方を大きく変える契機となりました。それまで私は「高齢者に生じやすい合併症をできるだけ予防しなければ」とか、「看護師として何か役に立ちたい」など、看護師の立場から支援を行おうと考えていました。しかし、避難されている人々の気持ちや悲しみ、見通しの立たない今後の生活に対する不安などへの配慮を欠いた自分の支援のあり方に、はたと気づかされました。看護師としてではなく1人の人間として、避難されている人々としっかり向き合い、置かれている状況をありのまま教えていただこうと考え、不安な気持ちや思いに耳を傾けました。 すると、様々な思いを聞くことができ、状況が見えてきました。「これまで農業で生計を立ててきたが、津波で田畑や家畜が流され、これからどのようにして生活のメドを立てたらいいのか」「幼い子どもがいる。これから教育面でもますますお金はかかる。仕事はすぐに見つかるのだろうか」「4月から私はどこの中学へ行けばいいのか、まだ決まっていない」「いままで病院からもらっていた薬がなくなってしまった。どのようにして薬をもらえばいいのか」「寝たきりでオムツをしている家族を連れて避難してきたが、ここではまわりの人々に迷惑をかけてしまう」「認知症の母親が落ち着かず、徘徊がひどくなった。ほかの人に迷惑をかけないかと、心配で夜も眠れない」「出産で入院中に家が津波で流された。帰るところがないので、新生児と一緒に病院から真っすぐ避難所に来た。母乳を飲ませる場所がない」「下着を交換したくても人前では交換できない」「せめて3日に一度くらいは風呂に入りたい」など、避難されている人々は、身体面ばかりでなく、心理、社会、スピリチュアルのあらゆる面で様々な問題を抱えており、不自由な環境の中で、できるだけ欲求を抑えながら生活をしていることがわかりました。③同じ支援者がかかわることが安心につながる 支援の方向性は、私が当初考えていたものと避難されている方が求めているものとでは、大きなずれがありました。避難されている方の思いや気持ちを受け止め、それに十分応えていくことが、やがては合併症予防等の支援を受け入れる気持ちのゆとりにつながることを教えていただきました。 避難所で生活をされている人々の様々なニーズに対応するには、医師、看護師、薬剤師、リハビリ等の医療関係者をはじめ、要介護状態の人々の生活を支える介護福祉士、介護保険施設への入所手続き等を支援してくれる介護支援専門員(ケアマネジャー)の存在が不可欠です。また、子どもの転校先の決定や手続きなどを支援してくれる教育委員会の職員や、就職を斡旋してくれる職安の人々、さらには出産後の母親のケアや相談に応じてくれる助産師や保健師など、多くの職種の人々による支援が必要であることもわかりました。それぞれの専門職やボランティアの人々が、避難されている人々と向き合い、思いや多様なニーズに応えていくことが真の支援であること、また短期間で支援者が代わってしまうのではなく、できれば同じ支援者が継続してかかわることが避難者の安心につながることを学ばせていただきました。 苦境の中で、避難者支援のあり方について多くの示唆をいただきました避難者の皆さまに、心から御礼申し上げます。そして、1日も早く、健やかに安寧な日々をおくることができますようお祈り申し上げます。 今回の震災で、発災直後の病院外来(特に高次医療機関として)の災害医療活動、被災地での避難所支援活動と在宅被災者の訪問健康調査などを行ってきました。これらの活動を紹介するとともに、今後の災害支援の課題と大学の役割について考えたことを述べていきます。①学内(附属病院、看護学部)での災害支援活動(3月11日〜14日) 本学のある福島市は震度6弱を観測し、大学建物の構造自体の重大な損壊はありませんでしたが、断水となり、附属病院の診療も制限せざるを得ない状況でした。附属病院は県の災害拠点病院でもあるため、一般外来診療および面会の制限をして重症患者に特化した診療体制となりました。しかし、診療制限を知らずに患者さんが多数来院することが予想され、軽〜中等度患者の外来トリアージヘの応援要請が病院から看護学部にあり、私もその任にあたりま東日本大震災災害支援活動─被災県にある看護系大学教員の立場から稲毛 映子地域・在宅看護学部門講師

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