FUKUSHIMAいのちの最前線
134/608

128 このように第三者が避難者の話し相手になることが大切だということがわかり、地元の人がボランティアで話し相手になっていました。しかし、避難者の話を聞くというよりも、会話をつなげるために「私も地震のときは大変でした。あなたもがんばってね」と自分が話をしてしまい、避難者の話を聞き出すことができなかったり、「大丈夫ですか?」と聞き、「大丈夫です」と言われ、話し相手になれないこともありました。 私たち看護師は「夜眠れていますか?血圧計があるので測ってみませんか?食事は十分に摂れていますか?」などと話したり、肩をもんで「随分こっていますね。同じ姿勢でいることが多いのですか?」などと聞くことから、その人の思いや困っていることを引き出すことができました。これは、普段から患者さんのいちばん近くにいて、思いを引き出している看護師だからこそできることだと実感しました。さらに、避難者から引き出した思いや問題にその場で対応したり、専門の医師やこころのケアチームや役所の職員等につなげて、避難者の方がよりよい対応を得られるよう支援することも、看護師だからできることでした。④健康的な生活がおくれるための環境づくリ 毎日体を動かす仕事をしていたのに、突然の避難所生活でほとんど体を動かすことがなくなり、活動量が少ないため夜は眠れず、体がきしみ、体調不良を訴え始めた方や、カップラーメンばかりの食事で血圧が高くなっている方もいました。そのため、健康相談だけではなく、避難所を管理している町役場の職員と相談し、避難所全体でラジオ体操を実施し、体を動かす機会をつくりました。個別の対応だけではなく、避難所全体で少しでも健康的な生活がおくれるような環境をつくることも、看護師だからこそできる活動でした。* 4月からは、津波と地震、風評被害と放射線被害のあるいわき市で、被災者の支援活動を行っています。これからも末長く、看護師だからこそできる支援活動を続けていこうと思います。①狭い避難所で身を寄せ合う人々 2011年3月11日14時46分、生涯忘れることができない東日本大震災に遭遇しました。その日からおよそ3週間後の3月末、私は保健師さんとともに、避難所で生活をされている人々の支援活動に参加しました。避難されている人々の多くは、地震による津波で最愛なる家族や家、大切な家畜やペット、経済の基盤であった田畑や職場など生活のすべてを瞬時に失ったり、幸いにして家や田畑は津波の被害を免れたものの、原発事故による避難指示区域に指定されたために、断腸の思いで郷里を離れたりした方々です。 まもなく4月を迎える時期とはいえ、吹く風はまだまだ冷たく、狭い避難所の中で布団や毛布に包まり、欲求を抑えながら身を寄せ合って暖をとっていました。ある町の小さな体育館では、約250人の人々が避難生活をおくっていました。人口密度が高いこともあり、避難所に入ってまず目についたのが、あちこちにある綿ぼこりでした。避難所の責任者の方から、数日前より発熱や咳嗽などが見られる人や、頻尿や血尿、残尿感など尿路感染の症状を訴える人が増えてきているという情報を得ました。感染症がこれ以上広がらないようにする必要があると考え、窓を開けて換気を促したところ、「風も冷たいし、放射線に対する不安感が強い方もたくさんおられるので、パ二ックになってしまうから戸は開けないでほしい」と断られてしまいました。そこで、肺炎や上気道感染を予防するために、せめて口腔内を清潔にしようと考え、歯磨きやうがいを勧めたところ、「1人が1日に飲める水はペットボトル(500ml)3本だけなので、飲み水だけで精一杯です」と、容易に水を入手できない厳しい現実を示す言葉が返ってきました。 さらに、1日のほとんどを横になって過ごされている高齢者の方が多いと聞き、静脈血栓塞栓症を予防する必要があると考えました。「長時間横になっていると足の静脈に血の塊ができ、その塊が流れていって肺の血管を詰まらせてしまい、生命にかかわる合併症を起こしてしまうので、起きて足を動かしませんか」と言葉をかけたところ、ある高齢女性の方が、「なんでこんな年寄りが助かってしまったのかね。孫が行方不明でまだ見つかっていないんです。津波で流されてしまったのかもしれない。孫がいまも冷たい海の中に1人でいるのかと思うと、どうして自分が生きているんだろうと考えてしまいます。生きていることが申し訳なくて、体を動かしましょうと言われても、なかなかそういう気持ちになれないんです」と、タオルで目頭を押さえながら話避難所生活をされている人々からの学び小平 廣子療養支援看護学部門准教授福島県立医科大学看護学部教員の支援活動

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です