FUKUSHIMAいのちの最前線
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126ることを説明してお帰りいただくことが多かったようです。2週目になると、開設診療科が少しずつ増えてきましたが、開設していない診療科に対しての問い合わせが多くなり、通院患者の不安も強くなっていたと思われます。 放射線スクリーニングは全員に異常はなく、被災された方々も安心し、我々も安全に活動ができました。被災された方々はお疲れのようでしたが、毅然としたお姿に頭が下がりました。また、再来患者への院外処方の対応なども、説明にて快諾いただき、困難に立ち向かう共同精神という福島県民のスピリッツを感じました。 私は、日本赤十字社で災害救護班として長年訓練を受けてきたので、トリアージを抵抗なく担当することができました。青森県の災害救護訓練では、六ケ所再処理工場の住民避難訓練にも参加してきましたが、実際の災害救護活動ははじめての体験でした。今回、大学病院における震災医療の一端を担い、他県のDMATの方々とともに被災された患者さんの救護にあたり、災害医療の患者輸送の中継基地としてのトリアージの重要性を痛感しました。このような体験を通して、非常時の中でも、落ち着き、迅速に的確に活動することを学ばせていただきました。③がん患者への対応について 手術直後の患者さんや終末期で退院が不可能な患者さんは、余震が繰り返す中で入院生活を余儀なくされました。そばに医師や看護師がいたとしても、家族と離れ離れになり、精神的な不安はこのうえなく大きかったと思います。被害が大きかった福島県浜通りの入院患者も多く、ある患者さんは、「病気のことよりも津波のこと、家族の安否が心配だったときに、医師や看護師が話を聴いて励ましてくれて、いま(震災2か月後)思うとありがたいね」と話していました。 親族の暮らす県外へ避難、または集団避難されたがん患者にとっては、医療の継続性を確保することが問題だったと思います。患者さんや家族から連絡があると、診療情報提供書を発行しました。逆に、当院に抗がん剤治療の継続を依頼してくる患者さんもいました。津波や原発事故の関連で正確な情報がない中、患者さんの情報をもとに検査や治療が行われていました。自分の治療法を正確に把握している患者さんは多くないと思われ、患者さん自身が自分の病気や治療内容を知っていることも今後の課題だと思います。 さらに、緩和ケアにおいては、疼痛緩和で使用されているオピオイドの用量は個人差が大きく、震災に伴い過不足による障害を少なくすることも重要だと思います。当院では、院外処方の調剤薬局との連携で対処できていました。 私は、震災支援物資(医療用かつら、帽子)の提供にかかわっています。これは、津波でかつらが流されて困っておられるがん患者のニーズに応えた、One worldプロジェクト(http://jcan.e-ryouiku.net/oneworld.html)からの支援物資です。避難所から通院している患者さん、入院中の患者さんに被災状況を伺いながら、一人ひとりの希望にあったかつらを提供しています。ある患者さんは、「病気になり、地震もあって何もいいことがなかったのに、かつらをいただけてうれしい」と笑顔で話してくれました。かつらという支援が、がん患者に笑顔と病気に立ち向かう勇気を与えているのだと思います。* このたびの福島県立医科大学附属病院の活動が、放射線関係の災害活動の基盤になっていくのではないかと思われ、看護師として貴重な体験をさせていただきました。 東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。①その日のこと 出張に向かうため、大学の駐車場に停めてあった自分の車に乗り込むその瞬間に、地震に遭遇しました。車がギシギシと音を立てて揺れ始め、街灯がゆっさゆっさと揺れ、大学の建物が揺れているのが見てわかりました。あまりにも揺れが大きく、時間も長かったので、地震だと認識するのに時間がかかりました。携帯電話で揺れていた時間を確認すると、2分以上ありました。 私はすぐに駐車場から大学に戻り、着ていたスーツから白衣に着替え、附属病院や近隣の病院から患者さんを受け入れるために、看護学部内にある実習室での受け入れ準備を開始しました。間もなく附属病院から実習室へ患者さんの搬送が開始されました。しかし、余震が続くためエレベーターは危険であり、患者さんを階段から担荷で搬送しました。搬看護師だからできる被災者支援鈴木 学爾家族看護学部門助教福島県立医科大学看護学部教員の支援活動

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