FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線125ナース発 東日本大震災レポート(日本看護協会出版会編集部発行)掲載三浦 浅子、鈴木 学爾、小平 廣子、稲毛 映子福島県立医科大学看護学部福島県立医科大学看護学部教員の支援活動①地震直後から数日間の動き 地震の揺れが落ち着いてから、看護学部の教員は、附属病院に多くの被災者(負傷した患者)が搬送されることを考慮し、15時頃には看護学部の実習室のベッドメーキングを行い、軽傷患者観察用の環境を整備しました。このベッドは、地震の最中に手術が行われていた患者さんの術後管理に活用されました。エレベーターが緊急停止していたため、廊下続きになっている看護学部の実習室で術後管理を1時間ほど行い、その後、ストレッチャーと担架を使い、階段を上って患者さんの搬送が行われました。19時頃には、実習室のベッド(約30床)を附属病院の正面玄関まで移動させ、患者収容用ベッドの準備をしました。看護学部の実習室(3室)は、職員および応援部隊(DMAT等)の休憩場所と、福島県浜通りで被災した入院患者の一時避難所(約70床の床敷きベッド)として活用されました。 看護学部の教員の役割は、トリアージ(黒タッグ:死亡群、黄タッグ:待機群、緑タッグ:待機治療群)のサポートや炊き出し班等、附属病院の後方支援でした。私は地震直後から数日間は、精神看護学領域の教員(精神看護専門看護師含む)とともに、死亡群の処置および家族のケアを担当しました。 福島第一原子力発電所の事故のため、原発から20㎞圏内にある病院や療養施設の患者さんを避難させることが必要となり、DMAT、自衛隊、各県から集結した救急隊員の協力の下、当院は患者輸送の拠点(中継点)としての機能を果たすようになりました。②一般救急トリアージを体験して 3月15日から2週間は、看護学部の教員、附属病院の看護師、事務職員等とともに、一般救急のトリアージを担当しました。トリアージとは、事故や大規模災害などで多数傷病者が発生した際に救命の順序を決めるためのものであり、最大効率を得るため、一般的に直接治療に関与しない専任の医療者が行うもので、可能な限り何回も繰り返して行うことが奨励されています。このファーストステージが正面玄関での活動だったと思われます。 当院では、重症救急外来(赤タッグ:最優先治療群)と一般救急外来(黄・緑タッグ)が開設されました。病院への入口は、重症救急専用と正面玄関の2か所に限定しました。正面玄関には、一般救急外来の受診希望者、入院患者の面会者(安否確認および食料や衣類の差し入れ、退院患者の送迎等)、医療機器や薬品等の業者関係の方々などが集まってきました。一般救急患者のトリアージの前に、どのような事情で病院に入ろうと思っているのか、一人ひとりに尋ねる必要が生じました。また、福島県は岩手県や宮城県とは事情が異なり、居住地を尋ねたうえで、原発事故の避難区域、屋内待避圏内の人々には放射線のスクリーニングが行われました。正面玄関でのトリアージは、診察必要者の判別を最優先にしましたが、そのほかに入院患者の面会や退院患者の付き添い等の振り分けを徹底し、来院者を混乱させないように最大限の努力を払う必要がありました。地味ですがこの振り分けシステムが混乱のない災害医療の基本であり、とても重要なことだと感じました。 震災関係の受診者のほかに、当院の予約患者への対応については、日々の変化に応じたマニュアルが作成され、正面玄関での振り分けやトリアージに役立てることができました。地震直後から1週間は、一般予約患者の診察は休止されました。テレビ等で情報提供をしましたが、電話がつながりにくい状態だったため、予約日に診察ができるかどうかの問い合わせが難しく、直接来院する患者さんも多くいました。緊急性がない場合は、調剤薬局で処方ができ大学病院における震災支援活動を体験して三浦 浅子療養支援看護学部門講師、附属病院看護部・臨床腫瘍センター兼務/がん看護専門看護師

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