FUKUSHIMAいのちの最前線
118/608

112②看護部の人員の確保 時間の経過につれ、事態が刻々と変わる中で、看護の対象・体制も短時間で変わらざるを得ない状況でした。看護部からの指示による病棟の閉鎖や業務内容の変更などはスムーズに行われ対応できましたが、慣れない業務での看護師のストレスはかなりのものでした。看護部あるいはリエゾン看護師が話を聞くことで対応しました。 当院は停電はしなかったものの断水になり、備蓄したタンクの水を使用しながらの業務になりました。看護部としては、働ける人員を確保することが必要になりました。当院の職員は車通勤がほとんどですが、ガソリンの供給が満足に得られなくなり、その方策としてタクシーの利用が許可されました。また、地域により停電が続いていたり、断水のため学校や保育所が閉鎖となり、余震が続く中、子どもたちを置いて仕事に来ることができない状況になった職員も出てきました。事務部門に相談し、3月14日から大学内で急遽、学童保育を行うことになりました。会議室を使って看護学部の教員、看護師、事務職員、学生ボランティアなどで対応しましたが、後半は院内の特別支援学校で対応してもらいました。毎日6~8人程度の利用があり、利用した職員からは大変喜ばれました。幼児に関しては、院内の託児所で預かることになりました。 さらに、職員の食事の対応を行いました。地震直後の夕方から、看護学部でおにぎりの炊き出しがあり、病院職員へも早い時点でおにぎりを配布することができました。12日になると多くのおにぎりが学部から運ばれ、病院全体に配布することができました。買い物にも行けず、買う商品そのものもない状況でしたが、職員に「病院に来ればおにぎりが食べられる」という安心感を与えることができました。病院食堂からのおにぎりの供給があるまで、看護学部からの炊き出しは続けられました。 職員のメンタルケアとしては、地震直後から心身医療科の医師が待機し、対応を行いました。家に帰れなかったり、怖くて1人ではいられない職員については、院内の仮眠室を利用したり寮を開放したりして、寝る場所の確保を行いました。 原発の状況が変わる中、長崎大学の先生方から放射線についての研修が短期間に3回行われ、毎回多くの職員の参加がありました。正しい知識の提供があったからこそ、スタッフが安心して働き続けることができたと考えます。③全所属の代表者が集まる災害対策全体ミーティングの開催 地震があった日の21時と0時に全所属の代表者が集まり、災害対策全体ミーティングが行われました。その後は毎日9時と15時の2回開催されました。病院の職員はもちろんのこと、大学の基礎医学の先生方も出席され、現在の状況、ライフラインの復旧状況、原発に関する情報、今後どうなっていくのか、問題点は何か、困っていることはないか等、毎回多くの意見が各方面から出され、内容の充実とともに職員の一体感が生まれたと感じることができました。刻々と状況の変わる中、それぞれの立場でできることを積極的に対応していただきました。どうしても暗くなりがち、険悪になりがちなミーティングはジョークに溢れ、不謹慎かもしれませんが、対策本部は毎回なんらかの笑いを提供しました。それには、院長はじめ副院長、心身医療科の先生方の努力があってのことでした。また、様々な出来事で感激して涙したり、悲惨な光景に涙したり、時に憤慨したりと、感情が表出した場でもありました。全体ミーティング終了後は、看護部だけのミーティングを毎回行い、看護体制、人の配置などの調整や不満、意見の集約を行いました。 再度このような機会をもつ状況となることは望みたくはありませんが、看護部として、普段あまり面識がない基礎医学の先生方や医師たち、施設設備の方々などと同じ場で時間を共有し、この災害に対処できたことは、これからチームとして医療を行うために重要なことを学ぶ機会となりました。* 最後に、この間、国立病院機構九州ブロックおよび関東ブロック、被災病院でもあったいわき病院から看護師のサポートをいただきましたことを厚く御礼申し上げます。地震・津波・原発事故への対応

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です