FUKUSHIMAいのちの最前線
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110は最初に津波被害が報告された地区である。鉄道や道路が寸断され、ガソリンがなかったこともあり、情報を把握することができなかった。 震災後2週目に飯田教授が初めて相馬地方を訪れた。相馬地方は震災のダメージが大きく、開業の先生は避難されており、眼科無医地区となっていることがわかった。翌週から、この地区に医局からの医療支援を開始した。また、福島県眼科医会と連携した被災地支援、避難所支援も開始された。大学は支援物資集配の拠点となり、私は眼科医会との連絡にあたった。あたり前だが、被災・避難地区の要望と提供される物資は食い違っており、調整には苦労した。 その後は、大学全体での支援活動も広がり、次第に落ち着きを取り戻しつつ、今日に至っている。 福島市の「花見山」や三春町の「滝桜」など、県内には桜の名所が多い。今では葉桜となって山肌一面を新緑が覆い、1年でもっともいい季節を迎えている。一見、穏やかな日常に戻った惑があるが、福島県は原発事故が収束せず、気が晴れない。放射能が頭に綿帽子のように降り積もり、振り払うことができない。それでも、ここまでこれたのは、教授をはじめ講座の先生方、看護師、スタッフの並々ならぬ努力のたまものであり、それ以上に、活動を支えてくれたご家族の協力にあると思う。今回の大地震で福島ではその影響を免れた家庭は1軒もない。住宅や家財の損壊、停電や断水のなか、医局に先生方を送り出してくださったご家族、特に放射能問題が危惧される小さな子どもさんがいるご家族には、厚く御礼を申し上げたい。 震災の翌週からは、千寿製薬をはじめ国内の主要眼科薬剤メーカーさんから支援を受けた。また、コンタクトレンズおよびケア用品、眼鏡および眼鏡ケースから飲料水に至るまで、日本眼科医会をはじめ多くの関連団体からのご支援をいただいた。紙面を借りて関係各位に御礼を申し上げる。 今回の震災であらゆるものが破壊されてみると、普段行っている診療はスタッフや医師だけではなく、交通、水道、電気、物流、製造、販売などの種々の業種の方々に支えられていたことが身に染みてわかった。常日頃から、われわれを支えていてくださる方にも改めて感謝したい。 福島県は、しばらく震災後遺症に悩まされそうですが、今後とも力を合わせて復興を目指しますので、温かく見守っていただければ幸いです。(5月10日記)緊急即応体制に有用なメーリングリスト

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