FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線103(写真・図提供:福島県立医科大学医学部 地域・家庭医療学講座、以下同)goo ヘルスケア[http://health.goo.ne.jp/]掲載福島県立医科大学医学部 地域・家庭医療学講座 助教 石井 敦家庭医が綴る福島からのメッセージ 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災。この時から、私たちは大きな試練を与えられました。 既存の常識やマニュアルが全く機能しない惨状が、目の前の現実として展開しています。そして自らも被災者。電話やメールなどの連絡網が断絶し、家族や仲間の安否すら確認できない中、福島県内各地の研修協力医療機関(おもに診療所や中・小規模病院)で診療に従事していた当講座の後期研修医・指導医たちは、被災した瞬間から、それぞれの持ち場で自ら考え、自ら行動していました。 津波の被害が甚大だった沿岸部では、幸い当講座スタッフの中で直接津波の被害を受けた者はいませんでしたが、激しい余震が頻繁に起こる中、物が散乱し雑然とした急患室を取り急ぎ片づけ、近隣の医療機関の状況もわからず孤立無援のまま、津波に襲われた方々を次々に受け入れ、ひたすら救急のトリアージ(治療の優先度決定)と初期治療にあたりました。ライフラインの復旧が遅れ、充分な検査や処置ができない状況下では、頼れるのは自身の丸裸の診療能力だけでした。 直接的な被害が少なかった地域でも、機能を失った病院からの尋常でない数の患者さんを受け入れるため、玄関ロビーにビニールシートを敷いてスペースを確保するなど奔走していました。 特に電子カルテシステムがダウンした病院からの受け入れは困難を極め、お薬手帳などを頼りに治療内容が把握できればまだよいほうで、病名はおろか氏名すら定かでないケースすらありました。まして、放射線被曝の疑いのある患者さんへの対応など、かつて経験したことのない診療を、わずかな情報を必死にかき集めながら行ったのでした。家庭医育成に熱い福島 そもそも私たち福島県立医科大学(以下、福島医大)所属の医師らがなぜ、大学病院ではなく福島県内各地の医療機関で診療に従事していたのか? 未曾有の大災害を予知し、あらかじめ県内各地でスタンバイしていたのか? いや、そうではありません。 医師不足・偏在が社会問題となっている福島県でいわき市沿岸部の津波被害(平成23年3月12日)患者さんの受け入れ準備風景私たちの3.111人は、独りでは生きていけない 大規模な災害医療支援の歯車となった家庭医たち。地域に生き、地域で働く喜びと誇りを胸に、医療と向き合う。(2011年7月5日)

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