FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線101福島を離れて、激しい葛藤宮澤 ただ、原発事故の状況がどんどん悪化していく中で福島を出ることに、すごく罪悪感も覚えて…。知り合いの看護師の方々など職員はみんな頑張っているのに、自分は逃げてしまうんだと思って、猛烈な葛藤がありました。—あの状況で福島から避難することを責められる人はいないと思います。宮澤 関東にいてもできることはないかと考えて、募金活動を始めました。高校の同級生が、日本医大と岩手医大で募金を始めていたので、それにならって、福島医大の私たちも始めようと。 私みたいに葛藤を感じて何かできないかという人たちは結構いたので、募金ならばできそうかなと思いました。みんなにメーリングリストで声を掛けたら、街頭募金の手伝いにかなり集まってくれました。高岡 私は千葉の市原の実家に戻っていたのですが、宮澤さんと同じで、やっぱり福島には友達や先輩が残っていて、みんな苦しい生活の中、ボランティアとかいろいろ頑張っているのに、自分だけが離れてしまったという思いを持っていました。関東でも計画停電は行われていましたが、それでも被災地に比べれば、かなり普通の生活ができていたので、福島を出たことに罪悪感を抱いていたんです。 日が経つごとに普通の生活に慣れていって、自分も福島で大地震を経験したはずなのに、その記憶がどんどん薄れていくことが、すごくつらいというか、怖くなって。「何かしなきゃ、何かしなきゃ」と焦っていたときに、宮澤さんから募金の誘いが来て、やってみようと思い、参加させてもらいました。宮澤 はじめは私が入っているメーリングリストのメンバーで情報共有して活動していたのですが、そのうちに盛岡に帰らなければならなくなって。母の実家が岩手の沿岸部だったこともあり、とにかく顔を見せに行く必要がありました。そこで高岡さんにマニュアルとか全てを託して、いったん関東を離れたんです。高岡 宮澤さんが始めた募金活動は、日本医大の方々が中心の活動に加えてもらったものだったので、キャンパスに近い上野を中心にした取り組みでした。でも私は実家が千葉なので、東京だけでなくて、もっと募金の範囲を広げていきたいなと考えるようになって、日本医大の方にも相談して千葉に住んでいる方々に協力を仰いで、医学生主体の募金活動を千葉でも立ち上げました。 福島からも関東出身の人が戻ってきていたので、メーリングリストを通じて呼びかけたら、そういう人たちも参加してくれて。福島医大だけでなく、県人会のメーリングリストや地元の友達のネットワークも使って参加者を募集していきました。—募金活動をやってみての手ごたえはいかがでしたか。宮澤 結論から言うと、やって良かったなと思いました。「募金=お金を集める」ことだけじゃなくて、町の人に直接メッセージを訴えかけるという面ですごく大きな意味がある活動だと知ったんです。 涙ちょちょぎれながらで、ちょっと自分を制御できない部分はあったんですけど(苦笑)、そのおかげで自分も立ち直れたという側面がありました。日本医大の方々に福島の現状を自分の口から直接伝えられたことも、意味があったと思います。高岡 そうですね。声を掛けたのは関東の医学生だったんですけど、現地に行って医療活動をしたいと思っていた人が結構いたんです。でも、交通手段もまだ一般には確保されていませんでしたから、医師の資格がない学生が被災地に入れる状況ではありませんでした。 「人の命を救いたい、困っている人を助けたいという思いで医学部に入ったのに、何もできない」と、悔しい思いをされていた人たちも、みなそれぞれに伝えたいことがあったと思います。一緒に活動できて、本当に良かったです。震災を経験して考えた進路—(5月上旬の)今は、ほぼ落ち着かれたんですか。大谷 振り返ると、震災発生から2週間ほどが本当高岡 沙知さん福島県立医大の医学生が体験した大震災

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