FUKUSHIMAいのちの最前線
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94な内容を話し合った。病院からの要請で耳鼻科は日当直以外に常時2-3名の医師が病院に待機することとした。また、医局員携帯電話メーリングリストを作成して、全体会議の内容や医局員の行動報告などを出来るだけリアルタイムに行い、情報を正確に共有するようにして、自宅待機の不安が減少されるよう配慮した。私は、地震発生から3-4日は会議に出席しては医局のパソコンに向かい情報発信を一日中(ほとんど寝ないで)していたように思う。一般外来は閉鎖となり、手術も中止となった。ガソリンの供給ストップが大問題となり、ガソリンを求めて5-6時間並んだこともあった。震災発生より一週間が経過する頃には病院の断水も解消され、予約外来と手術が徐々に再開され始めた。22日より内科系の外来が通常に再開し、各種検査もほぼ正常運用となり、24日には外科系外来が再開された。25日にはトリアージと放射線サーベイ業務が終了となり、26日以降は院内医師待機が終了。全体会議も週に1回程度となった。4月4日(月)より病院業務としては通常体制となった。 3月末より、緊急広域支援医療なるものが開始され、避難所を巡回し医療対応するという趣旨のものであった。耳鼻科も参加することとなり、いわき方面より開始された。始まった当初は、薬剤も十分でなく、また連絡が上手くいかないこともあり、避難所によっては受診が必要な被災者が外出中であったり、医療支援が複数ブッキングして微妙な空気が流れたりと問題は多かった。しかし、自分もー度参加したが、実際に避難生活をされている人々を目の当たりにすると、災害の大きさを再度実感すると共に、もうしばらくの支援は必要と感じたのは事実であった。その後は、タイ王国からの医療支援に耳鼻科も同行するなどあったが、6月末現在はそういった支援は終了している。 正直なところ、以前の私は代わり映えのない毎日に対し、何か起きないだろうかと不謹慎な考えを抱くこともあったが、実際に今回のような震災に見舞われると、平穏な毎日がどれほど大切であったかを痛いほど実感し、自分の不謹慎な考えに対し反省している。今振り返ってみても、あのような想像を絶する状況を医局員が一人も欠けることなく、一丸となって乗り越えられたことは本当に誇りに思い、自分に協力してくれた医局員に対し感謝の心でいっぱいである。今後は状況の改善を願うばかりである。病院玄関でのトリアージ風景1経緯◦業者が営業できない状況となったことや、ガソリンスタンドへのガソリンの供給ができなくなったため、業者のトラックへの燃料の供給ができず、医薬品を含む多くの物資が届かなくなった。◦以下の大学から物資を支援いただいた。千葉大学、獨協医科大学、宮崎大学、東京医科大学、順天堂大学、新潟大学、広島大学、京都府立医科大学、静岡県立大学、三重大学◦支援いただいた主な物資は、以下のとおり。医療用手袋 約200箱医療用ガウン 9箱水 1,800Lトイレットペーパー 17箱おむつ 約1,100枚離乳食 約500食シーツ 約500枚ウェットティッシュ 約350個ポケット線量計 10個◦大学以外にも民間病院や企業などからも物資を支援いただいた。物資の他大学からの支援状況について企画財務課大震災を経験して

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