菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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225. 常に前向きに取り組め

先日、再建に携わっている病院を訪れた際、敬愛する友人が、然(さ)り気無く、「最近、『学長からの手紙』が出されていませんね、と同僚が言っています」という話をされました。
気が付いてみれば、随分書いていません。次の世代に伝えるメッセージは、本当に無かったのかと、思わず襟を正して振り返りました。まだあります。
忙しいということを言い訳にせず、少しでも伝えていかなければならないと思いました。

そこで、今回は上記の主題で語ってみます。

私自身、様々な職種の方々と共に、人々の健康を護(まも)り、回復させるという目標に向かって仕事をしている組織を管理・運営する立場に、結果的に長い間、置かれました。その間、色々と学びました。
フィルムを巻き戻すように過去を振り返った時、現場を去る時、或(ある)いは生を終える時に、「住(じゅう)する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)が出来たかどうかだ、と思うようになりました。
人にはそれぞれ、その人が歩んで来た道で培(つちか)ってきた独自の持ち味があります。言動は、その人の人生を反映しているように感じます。

組織運営という観点から、幾(いく)つか気が付くことがあります。
一つは、いわゆる“優秀な人”によくみられる仕事の仕方です。
何か目標や法令に基づいた作業が課せられると、先(ま)ず、その目標について、他の組織や他人との比較をします。例えば、「他ではやっていない」、「他でも目標に到達していない」ということを述べます。その結果、「だから急がなくて良い」とか、「様子をみましょう」という結論になります。
これは、解決しようという意気込みとは対極にある姿勢です。こういう人は、思考過程の腰の引け方に自分では気が付いていません。絶えず、相対評価でしか物事を考えていないのです。

私自身は、原発事故以降、前例のないことに取り組まなくてはなりませんでした。そんな時、やるべき目標を定めたり、使命が明確になった時点で、あとは、どうしたら出来るかを考えるしかありませんでした。
従来の、或いは通常のやり方では、出来ない理由、そして困難な理由は山程あります。それをいちいち悩んでいても、周りが我々の為に規則を作ったり、知恵を授けてくれる訳ではありません。目標を達成する為に、既存の規則を変える必要があれば、その理由を根気良く周囲に説明すれば良いのです。
黙々と求められる務めを果たしている姿を周囲の人々がみて、共感して下さり、支援の輪が拡がるのです。

もう一つ、俯瞰(ふかん)的な眼を持たずに、目の前の課題を収拾することにだけ拘(こだわ)り、結局、将来に禍根を残すような纏(まと)め方をしている場面や人がみられることです。
少なくとも3年から5年先をみて、今、決めようとしている結論や枠組みが、後の人々に及ぼす影響を考えておく必要があります。その為には、絶えず、国を始め、様々な組織から公表される情報を、大小に拘(かか)わらず、自分が、今、取り組んでいる問題に関係することを丁寧に拾って、記録、或いは、頭の中で纏めて、将来の方向を知っておくことです。
私のような凡人には大切な作業に思えます。そして、自分なりの考え方を纏めたら、それを貫くことです。 折り合いは必要ですが、先ずは自らの理念を明確にすることが、相手も理解し易くなり、擦り合わせが進みます。

更には、医療という機能を持った大学にいると、組織の管理・運営を司(つかさど)っている優秀な事務の人々と、我々医療人との間に、考え方の決定的な違いがあることに気が付きます。
この問題は、良いとか悪いとかの問題ではなく、文化の問題です。

医療に携わっている人間は、与えられた条件で斗(たたか)うしかありません。
救急の患者さん、或いは、目の前の患者さんに、「今、準備が出来ていない」、「担当者が揃わない」、或いは「この器具がない」から出来ない、という言い訳は通用しません。今、自分の置かれている環境で出来る最大限の力(ベスト)を尽くすしかないのです。どうしたら、この患者さんに納得してもらえるかが目標です。
つまり、帰納法(きのうほう)で考えます。迅速さ(スピード)も大切です。

一方、管理・運営にあたっている方々は、如何(いか)に正確、完璧、公平に出来るかを、一つひとつ積み上げるようにして、目標に向かって仕事をします。
つまり、演繹法(えんえきほう)です。この場合、スピードは二の次です。

このような違いから、各々(おのおの)に求められている役割は自(おの)ずと異なります。

それぞれの部署で組織のリーダーになっている人は、組織が将来進むべき道を、そう考えた根拠と共に、明確に示す必要があります。その目標が確定したら、目的達成は可能かどうか、或いは、その構想を実現するうえで解決すべき課題と解決策は何かを検討するのは、事務方のプロとしての役割です。
組織では、将来構想を示す役割と、それを実現可能に持っていく役割の立場が時々逆転して、迷走を繰り返すことがあります。手段と目的を取り違えることと同じ過(あやま)ちです。

この未曾有(みぞう)の惨事を前にして学んだことがあります。それは、批判や摩擦を恐れて目先のリスクを回避しないことです。
3年後、5年後、出来たら10年後に、それを作った人達がその時にはその現場にいなくても、「先人達は良い仕事をしてくれた」と言ってもらえるような仕事をすることが大事です。

時間が幾らあっても足りない速度で、日々、様々な変化があらゆる現場で起きています。
その変化を受け止めて仕事をする組織の構成員は、愚痴の一つも言いたくなります。そんな時、「われわれの享(う)ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くしている」(セネカ)という箴言(しんげん)は励みになります。
原発事故以降、自らの責任を担保として即断即決の日々です。それは、今も続いています。

 

(2015.03.04)

 

 

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