菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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203.再び問う。手段と目的を明確に意識せよ

昨日の早朝カンファランスで、我々が組織として営々として築いてきた理念が必ずしも若いスタッフに充分には伝わってないことに、哀しみを覚えました。組織の良き伝統は黙っていても保たれるというものではなく、組織を構成している人とともに変わってしまう可能性があります。それだけに、組織の良き伝統は、意識して伝えていかないと伝わっていきません。伝統ある組織はあっても、それが良い組織かどうかは、別の問題です。

以前にも考えましたが、再度、カンファランスの目的を確認してみませんか。一つは、自分自身の知識の整理と確認です。思い違いとしていたり、持っている知識には何の根拠もなかったりすることが稀ではありません。また、長い間、やっていない治療法は細かい点でうろ覚えのところがあります。これは、カンファランスで症例を提示する人間が持つべき意識です。

第二に、教育の機能です。我々は、知識や技術の伝承の手段の一つとして、医局制度をとっています。そこでは経験の異なる様々な人達が世代を超えて集合しています。カンファランスで、学生を含めてスタッフや研修医の前で症例を提示することによって、自分に執って当たり前の知識でも、学生や若い人に執っては知らなかったり、或いは学生時代に習っていたことであっても忘れていたりすることの教育ができます。自分には自明なことでも噛んで含めるような説明が教育には必要です。

第三に、そこに集う組織の全員が患者さんの知識を共有することです。これにより、突発的な問題が発生しても対応が可能になります。このような3つの目的を念頭に置いて、自分の立場を意識してカンファランスに臨むべきです。

カンファランスがセレモニーと化していることは珍しいことではありません。しかも、セレモニー化したカンファランスも、組織によっては開始時間がバラバラであったり、集まらない人がいたり、更にはやらなかったりします。そういう姿を学生が見て、どう思うでしょうか。それに対して学生は怒りを感じることが普通です。愚直なまでの「継続」こそが我々凡人に執っては大成するための最大唯一の手段です。それをもう一度考えて、各自行動すべきす。

目的と手段を執り違うことの危険さは、以前にも指摘した通りです( No.57目的と手段を明確にせよ。  No. 125再び問う。手段と目的を履き違えるな。  No.175手段と目的を明確に )。私は、この3つの目的を達成するために、カンファランスでは自明なことでも質問します。黒でも「白ではないか」と質問します。それが、私に課せられた教職員としての役目だからです。各自が自らの持っている責務を果たすことによって、カンファランスがその目的に叶うようになります。各自もう一度、カンファランスに臨むときの自分の立場を意識して臨んで下さい。

 

 

 

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