菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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194.言葉の独り歩きに注意せよ −自分の目と耳を信じること−

伝聞という形の情報は往々にして当初の内容から大きく外れています。医療の世界では、リスクマネジメントの点からも、どうしても伝聞に基づく医療行為の実施は避ける必要があります。医療現場では、多種多様な職種の人が一同に会しているだけに、円滑な人間関係や正確な情報伝達は非常に大事です。誤解や曲解によって伝聞による言葉(情報)が独り歩きし、それがあたかも真実のようになってしまうことは危険です。言葉の独り歩きは、誤った情報自体が問題だけでなく、職場での人間関係に大きな傷を付ける可能性も危惧され、それが作業ミスにも繋がります。誤った情報を伝えないこと、そして自分の伝えたことを正確に分かってもらう為にも、伝聞による言葉の独り歩きには荷担しないような注意が各自に求められます。

最近、このようなことを強調しなくてはならないという思いに至ったエピソードがありました。「教授の関与している医療現場では、人工骨のスペーサーを使うことはタブーである」、と言われていることがたまたま私の耳に入りました。これが言葉の独り歩きの典型です。私は随分以前に、カンファレンスの場で「スペーサーの使用は可笑しいのではないか」と言ったことがあります。勿論、幾つかの根拠の提示とともにです。根拠の一つは、当時の人工骨スペーサーはサイズが少なくて、スペーサーを挿入する為にそのサイズに合わせて骨を切除する必要があったからです。スペーサーのサイズの品揃えが不足している為に、切除する必要のない骨を削ることは倫理上、許されないことではないかという指摘です。

もう一つの根拠は、有用性を示す根拠の薄弱さです。当時、スペーサーを使用することによって採骨部痛がなくなるという多くの報告がありました。しかし、それらの報告は何れも非科学的なもので、明確な根拠の提示とはいえないものでした。この二つの理由から、骨のスペーサーを無原則に使うことは、倫理的にも科学的にも妥当ではないのではないかということでこの件は終わりました。私が指摘した二つの疑問点や指摘が解決出来れば、スペーサーを使うことはタブーである筈がありません。現時点で、前者の問題点が解決されているのか私は分かりません。後者の疑問に対しては、まだ充分な有用性を示す根拠は提示されていないと理解しています。このように、前提が消えて「結論」だけが、あたかも教授の理念みたいに伝わってしまうのです。このようなことは、意外に、世の中にはあるのではないでしょうか。

もう一つは、「カンファレンスで神経根造影像の所見を問題にするのはタブーである」という話しが行き渡っていたようです。これもおかしな話しです。他日、私は「神経根造影像の再現性は、解剖学的な理由(硬膜外腔という明確な空間は存在しない)によって乏しい」ことを指摘しました。また、私が教室に赴任するまで教室員に広く信じられていた「神経根陽性像が良い像で、陰性像は悪い」という認識の間違いも解剖を説明して明らかにしました。事実、臨床例でも再現性は乏しいのです。

従って、神経根造影でも、形態の臨床的意義を追及すると従来の画像検査が有している欠点に直面してしまいます。造影像の形態学的診断価値は高くないので、その事実に留意して読影する必要があるということを言いました。この事実は今でも変わりません。にもかかわらず、「神経根造影像に言及するのはタブーである」という話しになってしまうのです。この話しも、前段抜きで後段だけを第三者が聞いたら「教授の我儘」としか見えません。

このように、伝聞情報は当てになりません。医療行為では勿論のこと、社会生活においても他人からの伝聞情報は限定付きで聞いておいて、それに対しては安直に賛成とか反対とかを即断しないで、自分の目と耳で確認することが大切です。

 

 

 

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