菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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180.患者への敬意は明確なメッセージで伝えよ

最近、クリニカルクラークシップという概念が、頻に強調されます。しかも、それは、アメリカにあって日本には今まで無いかの様な紹介のされ方すらされています。また、紹介者によっては、留学して初めてそれを知って、これこそが医療の道だと書いているのを見るとばかばかしくて、腹も立ちません。その様な記事を読むと、「あなたは今まで日本で何を勉強し、患者に対してどんな風に真剣に向き合っていたのか」と問い質したくなります。クリニカルクラークシップでは、患者へのマナーとして、自己紹介をしなさい、患者の体を触る時の注意、或いは医学用語は分かりやすい説明、更には、患者からの質問に対する誠実な答え、そして患者が質問しやすい様にこちらから確認することの重要性が強調されています。

しかし、我々の日常診療の現場を考えてみて下さい。外来では、何時間待とうと何時に診ようと「お待たせしました」という患者さんへの言葉で診察が始まり、病棟の受け持ちになれば、自己紹介を以てその関係が始まっています。患者さんがベッドに上がる場合にはスリッパを揃え、患者さんのベッドの昇降では、患者さんに手を貸し、患者さんの履物を揃えます。診療終了時には、ためらわない様に、「何かあったら何時でも御連絡下さい」という言葉を添えて、「お大事に」と患者さんを送り出します。また、医師が患者さん自身に興味を持っているということを明確に伝える為に、患者さんの誕生日や患者さんの趣味に対して普通に会話が出来る様な姿勢で、医局員は接しています。カルテをメモ代わりとして医師が患者さんに関心を持っていることを折に触れて伝えていることもその一つです。

クリニカルクラークシップの偉大さは、如何にもアメリカ的です。それは、マニュアル化して、全員同じ様に行動出来る概念を作り上げていることです。それは、全ての人間を確かにある一定水準に維持する為には非常に良い概念だし、良いシステムだと思います。東京ディズニーランド方式に通じる一つのアルゴリズムを作り上げた偉大さをを以て、我が国なりのやり方の良ささえも見失ってしまうのは余りに愚かなことです。でも臨床家は皆、各個人個人で、自分なりに患者さんにどの様にしたら、医師が患者さんに敬意を持って接していることを分かってもらえるかを皆それぞれの方法で実践しています。

どちらが良いかは必ずしも断定出来ません。文化の違いが背景にあるからです。従って、概念やシステムとしてのクリニカルクラークシップに敬意を払うのは大事なことですが、結局は患者さんを社会に生きている生物として捉えれば、自ずと問題は解決する様な気が致します。そして大部分の臨床家にとってそれは既に実践されていることではないでしょうか。

 

 

 

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