菊地臣一 コラム「学長からの手紙 〜医師としてのマナー〜

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174.受け身の生き方は周囲にとっては迷惑

大学という機関の持つ性格から、診療や研究を行ううえで色々な約束事があります。学位論文は必ず出版することも一つの約束ごとです。また、集学的アプローチやチームアプローチが必須である高度機能を有する巨大病院では、システムが円滑に働く様に色々なルールがあります。退院時におけるまとめ、入院計画書、或いは退院時の指導書の作成等は最も基本的な約束ごとです。しかし、本人に、それらがきちんと処理されていないことで大変な迷惑を蒙った苦い経験がないと、その必要性を実感として受け止めることが出来ず、結果として仲々実行されません。

学位論文を例に挙げれば、学位が授与されれてしまうと、出版の義務など幾ら言われてもなかなかやりません。しかし、その場合、学位授与が妥当と判定した教授を含めた教授会や事務に携った人々はその対応に困ってしまいます。研究は、一人で出来るものではありません。自分の所属する講座の多数の人の援助、金銭的、時間的、そして精神的な多大な援助が研究遂行の裏にはあります。自分一人で論文は書ける訳もありません。講座外の人達の支援も無ければ、学位論文は取得出来ませんし、論文としても出版されません。しかし、研究実施の結果としての論文発表がきちんとなされないことは、自分自身の評価を落としめ、組織としての名誉を傷つけます。評価や名誉は金では決して贖えない大切な価値であるということに、思いがなかなか至らない人が多い様です。

怒りを自分の飛躍のエネルギーに転化にする位の屈辱を受けたり哀しみを味わった人でないと、受け身の生き方からなかなか抜けられないことが医局員を見ていると感じます。研究をしたくても出来なかった辛い経験を有している人間は、研究の機会に感謝して、積極的に頑張ります。そして、その研究は多彩な展開を見せ、言われなくても国際的な評価を求めて、英語で国際雑誌に投稿します。しかし、それが自分から出たアイディアや自分の情熱から決心したことでなく、上から与えられたものである場合には、研究も思う様に進みませんし、出来上がった研究も論文に仕上げる義務感さえ湧いてきません。研究したくても出来なかった辛い経験を持っていない人間に、研究出来る喜びや価値が分かる筈もありません。分からないから、ルールを守ろうとする気持ちも強くありません。自分でその必要性を感じない限り、幾ら言われても自ら論文として仕上げず、或いは、研究として進まなくて中途半端にその研究を放り投げても、あまり痛痒を感じていないのではないかと思われます。

仕事は、受け身や義務であればそれは苦役です。反対に、仕事が楽しければそれは喜びであり、責任感や誇りさえ生んでくれます。どう主体的に自分の役目を捉えるかで全く逆の姿勢になります。自分で稼いだ金ならその貴重さが分かりますが、与えられた金ではその貴重さが分からないと同じ様にです。初志貫徹するのに必要なエネルギーになる屈辱や哀しみが、その人間にとってどの程度必要なのかが難しいところで、それが余りにも大きいと人間は潰れてしまいますし、少ないと怒りを呼び起こすほどのエネルギーの転化は起こりません。要求されるレベルがその人間の能力ややる気を大きく越えていればそれはストレスにしか感じられず、怒りさえ持ってしまいます。しかし、余りに低いレベルでの仕事を与えられれば退屈であり、最後には屈辱を感じるかもしれません。仲々やっかいな問題です。

 

 

 

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