菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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143.情熱の持続を

医師が日々研鑽するのは、若い人にとっては至極当然のことです。何の疑問も無く寝食を忘れて若い医師が頑張るのを我々は日々目にすることが出来ます。私の医局でもそのことは同様で、若い医局員の日々研鑽する姿は壮絶の一言に尽きます。それは周りの人にさわやかさや感動を与え、ひいては医師と患者あるいはコメディカルとの信頼関係の確立に繋がっていることは皆等しく認めるでしょう。しかし、研修医から病棟長、或いは医局のスタッフ、助教授、教授といくに従って、その情熱を持続することは容易なことではなくなります。これは、年齢という問題もあるでしょう。

「青春とは気持ちの持ち様をいう」とは言っても、年齢が高くなるにつれて、その情熱を日々掻き立て持続することは大変な努力を必要とします。最近、自分の5周年記念に立派な同門会誌を作ってもらいました。寄稿者に礼状を書きました。幾人かの人から、「今も続いているその情熱のエネルギーの源は何でしょうか」という手紙を貰いました。その手紙を目の前にして、私自身深く考え込んでしまいました。「そういえば何だろう」という思いです。

それは多分、屈辱感ではないかと思います。よく、「何かを成し遂げようとしている人は皆、心の中に傷をもって生きている人だ」ということを聞きます。私も自分の経験に照らしてそう思います。情熱を持続させるのは、ひょっとしたらその人の心の傷ではないかと。「なにくそ」という思いこそが、その人の情熱を掻き立てるのではないでしょうか。だから、そういう人は「味方千人敵千人」になるかもしれません。しかし、その軋轢を撥ね除けるような熱い情熱が、その人間を困難に立ち向かわせているのでしょう。

私の医局も5年目が経ち、システムが整ってきた為に、個人個人の個性や情熱があまり出てこなくなりました。良い面もありますが、寂しい面も多々あります。個々の医局員の情熱が無くても、組織が上手く運営されていくというのは良いことではありますが、やはり医局を動かす源は個人個人の情熱です。そのエネルギーをどう自分で掻き立てていくかは、自分自身でやらなければなりません。そこに物質的な充足感やある程度の精神的な満足感があったり、あまり困難が無く、自分自身の取り組まなくてはならない課題がないと、自分の情熱を沸き立たせるのも仲々大変なことかもしれません。しかしもう一度皆で5年前を思い出しましょう。0からスタートした時の「やらねば」と思った気持ちを。

と言っても、私自身も最近、情熱を持続させることが段々困難になってきました。「恕す」ということと「諦める」ということは、私のような凡人にはどうも紙一重で、往々にして「諦める」ことの方が多いような気がします。他人を包み込んで、やる気を起こさせさせ、情熱を燃やさせることは、残念ながら今の私には全く出来ません。出来ないことに対しての無力感もありますが、最終的には自分の思い定めた理想に向って、自分自身を叱咤激励しながら進むしかないようです。

 

 

 

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