菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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134.言い訳無用

このタイトルでは以前書いたかもしれません( No.33 )。しかし最近目に付くので、敢てまた筆を取ります。人間何か失敗をしたり、うまくいかなかったりすると、当然言い訳をしたくなります。それは私とて例外はありません。しかし、組織をバックにしないで生きてきた私の生きる知恵の一つは、「言い訳をするな」です。

言い訳をする人間は、如何にそれが出来なかったかに就いて、十分な根拠があったことを説明しようとします。しかし、聞くほうは、当然それが出来るものと期待しているわけですから、そういうことを言われても何の慰めにもなりませんし、普通は火に油を注ぐだけです。

例えば、遅刻をしたとします。今日は雪が降った、雨が降った、交通渋滞があった等、数え上げればきりがありません。しかし、考えてもみて下さい。自分の都合で雨が降ったり雪が降ったりするでしょうか。そんなに都合良く天変地異は変えられません。だったら、冬になり、雪が降る頃になれば、前の日に天気予報をチェックするというのは、プロとしてのごく普通の備えなのではないでしょうか。交通渋滞が起きるかもしれないということが予想されれば、普段より10分早く出ることは、普通の社会人なら誰でも考える事ではないでしょうか。だとすると、、我々プロフェッショナルの人間は、結果が全てですから、「言い訳無用」です。「すみませんでした」と言った方がいかにも潔くて、聞くほうはそれ以上文句を言えません。黙って頭をさげている人間を殴る人間はいません。

これについては面白い話があります。日本の大学教授をしているドイツ人の話ですが、ドイツでは言い訳をしなくてはならないそうです。いかに自分が遅れてきたかを正当化するためには言うべきなのだそうです。それがドイツでは常識なそうです。やはり一つの事に対する反応の仕方は、洋の東西で全く異なる様です。ところが日本ではまったくその逆であることに、彼自身が非常に驚いている様です。

このように言い訳無用というのは、日本人だけに通用する美意識かもしれません。しかし、我々は日本の中で生活しているわけですから、言い訳しても決して事態は好転しないし、却って悪化するのが普通です。だとしたら、我々プロとしては、結果が全てなのですから、しかも日本という地でのプロとしての生活ですから、言い訳はしないほうがずっと自分の姿が美しく見えるような気がします。

言い訳を批判する立場からすると、相手がする言い訳と同じ位、そうではなく、出来る筈だったという理由が挙げられます。ですからこれは、必ず水掛け論になります。だとしたら、出来なかったという事実は消せない、或いは義務としての仕事をしなかったという事実は消せないわけですから、潔く謝ったほうが、その後の人間関係も、自分自身に対する周囲の評価も、また、自分自身を納得させる為にもいいのではないかと思います。

 

 

 

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