菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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117.勝負を決するのは気迫(エネルギー)である

1995年の正月を迎えて、些か暇がありましたので、あらゆる種類の本を読んでみました。新年のせいか著名人の若き日の話や、インタビューでその人間の思っている事がうまく引き出されている記事を、幾つか見付けました。これもその一つです。現在史上最強の天才と世情に持て囃されている、羽生善治6冠王(7冠王になるかも知れない)が、渡辺淳一と「様々な才能」というタイトルで「オール読物」の新年号で座談会をしています。その中で彼は「結局勝負を決するのは、体から発散する気迫(エネルギー)である」という事をさり気なく述べています。また、その話を引き出した渡辺淳一は、「何ごとに付け大成する為には、いい意味の鈍さが必要である」と答えています。どちらも非常に含蓄のある言葉です。

有名な言葉に「扁せよ、さすれば遍ずる」があります。我々医師は研修医時代には仕事だけに没頭しなければなりません。その貴重な医師としての青春時代の数年間が、その人の一生を決めてしまいます。また、研究する場合には、何かにひたむきに打ち込まなければなりません。「寝食を忘れて」という表現も当てはまるかも知れません。一つのものに錐で穴を穿つようなのめり込みでやっていくと、不思議な事に、何かが目の前に浮かんできます。今まで霧の中で群盲象を撫でるような感覚が急になくなり、手応えを感じるようになり、見えてきます。不思議なものです。そのような事を渡辺淳一の言は含んでいるのではないかと思います。

また羽生氏の言っている事は、以前にも書いたような事に通じるような気がします。結局我々の仕事は、病気や患者さんとの一対一の勝負です。あらゆるデータから総合的に、今何が問題になっているかを抉り出し、その問題になっている点にはどういう風に迫ったらいいかを明らかにするとき、一番必要なのは集中力です。その集中力は、「死して尚止まず」という激しい気迫だと思います。そういう気迫は、他人にはよく見えるものです。それがその人間の迫力なのかも知れません。

お互いこのような因果な商売に就いた訳ですから、少しでもめりはりのある生活を送って、時には錐で穴を穿つような集中力や気迫をうまく自分自身から引き出して、頑張ってみようではありませんか。

 

 

 

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