菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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64.医療の中の詭弁

医療人としてのプロにとっては常識である事が、素人にとっては非常識である事があります。厄介な事にこれを逆手に取って素人を誑かす人間が医療人の中にいます。その幾つかの例を上げてみましょう。

以前に徳州会創立者である徳田虎雄氏がその著書の中で、「医療人は廊下の真ん中を歩くべきではない」「病院は患者の物であって、医療人の物ではない」と書きました。それを評論家達はこれぞ真の医療人として褒め上げました。しかしこれは真赤な嘘です。医療人は病院の中では廊下の真ん中を歩かなければならないのです。

その理由は医療人なら誰でも知っていることです。どんな病院でもまともな病院なら廊下には手摺が付いています。その手摺は患者さんの為なのです。どんな患者さんでも普通はその手摺を使って歩く人が大部分です。ですから、真ん中を歩ける患者さんは普通の人と同じなのです。むしろ病院の中で端は患者さんの為にあるのであって、その為に廊下の端は患者さんの為に空けておくべきなのです。言われてみればなるほどと分かりますが。その言葉だけを取ってみると病院の事情に疎い人にとってはかっこいい話しと映るでしょう。全く持って真赤な嘘です。

また、最近よく言われますのは、「ドクターは背もたれの付いている椅子に座って、患者さんは丸椅子とは何事だ」という事です。これだけ聞くと患者さんがさも質の良くない椅子にすわらせられているという錯覚に囚われます。これも嘘です。患者さんは診察してもらう為に病院に来るわけです。診察する為には背もたれがあっては診察出来ないのです。背中から前から脇から診察が出来る為の丸椅子なのです。ですから、患者さんは丸椅子に座らなければなりませんし、丸椅子に座らせる事が医療人の、或いは病院のサービスなのです。これも素人受けする詭弁です。

更に詭弁の例を上げましょう。よく最近農村医学や僻地医療として高々しくその使命感を謳っているドクターがいます。私自身も狸の数の方が人間の数より多いような僻地の病院の院長として勤務していました。そこでの経験は今までに色々書いてきたから沢山知っていると思います。ですから私は、僻地病院に関しては人一倍知っているつもりです。僻地病院の医師のある部分の人達は「ネクタイや白衣は権威の象徴であるから良くない、だから我々はジーンズを履きTシャツを着ているんだ。それが庶民的だ」と言って一部のマスコミはそれを持ち上げます。

でも考えても見て下さい。白衣やネクタイが権威の象徴であるというのは誰が言っているんでしょう。それは自分達が言っているだけなのではないでしょうか。果たして患者さんがそう言っているでしょうか。私は、ついぞそういう患者さんにはお目にかかりません。むしろ私は、僻地病院に着任時、白衣を着、ネクタイを締めて働きました。その時ネクタイがベッドに掛かったり、或いはネクタイに注射液が掛かったりします。でもそれは当り前な訳です。でも、患者さんはそれを見て「先生は立派だ。ネクタイが濡れるのも汚れるのも構わずやっている。」という反応はありました。

しかし、ネクタイや白衣を着て威張っているとは一度も言われた事はありません。これは、遠慮して言っているのではありません。私は、少なくとも患者さんの信頼感を勝ち得ていたという自負があります。ワイシャツやネクタイや白衣に権威の象徴を認めるのはそれに何等かの思い入れがある人達だけであって、果たして患者さんもそうであるかどうかを良く考えなくてはなりません。何時でも言う様にTシャツ・ジーンズ・スリッパを履いているドクターと洗い晒しの白衣を着、ネクタイを締め靴を履いているドクターと最初にあった時に患者さんはどちらにより信頼感を持つでしょうか。患者さんは良いドクターに出会えるかどうかを祈る様な気持ちで外来に来ます。その時、その判断する材料を必死で探し求めます。その時患者さんはTシャツやスリッパやジーンズを履いているドクターに信頼の証しを見るでしょうか。私にはそうは思えません。

ですから、以上述べた様に一見口当たりの良い素人受けをする様な議論には余程注意しなければなりません。また、そういう議論にはやはりプロの医療人としては、率直に批判すべきだと思います。

 

 

 

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