菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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57.目的と手段を明確にせよ

前にも述べましたが( No.9 )、ある一つのシステムや組織が出来上がるとその瞬間からその目的と手段が逆になってしまいます。このことは組織やシステムの中にいる人間は絶えず意識してその原点に返らなければならない事を示唆しています。

例を挙げて話してみましょう。昔、国鉄が有りました。国鉄はその構成員の一家意識で、その正確さは世界に観たるものが有りました。しかも、その国鉄一家意識は子供や孫を同じ国鉄に入れる程でした。その国鉄という経営母体をうまく機能させる為に、労働組合が出来た筈です。しかし、出来た瞬間からその労働組合は、国鉄をより機能的にする為の組織では無くて、労働組合自身の生存・維持の為の組織に変わってしまったのです。それは国鉄に限らず、どんな組織にでも言えます。その組織は、何かの目的で出来たのですが、出来た瞬間からその組織は自己生存維持が目的に変わってしまうのです。そうです。目的と手段がその目的を達した瞬間から、目的と手段はひっくり返らざるを得ないのです。ですから、絶えずその構成員は、そういうことを意識しなければなりません。

自分達の事に目を転じてみましょう。前にも書きましたが、始業時間を整形外科は7時半にしています。7時半が目的では無い訳です。7時半に始業して、業務が開始される前に患者さんの訴えを全て聞き、それで始業開始と同時にその訴えを処理しようという事が目的です。もう一つの目的は、午後をフリーにしてその午後を自分で好きに使って、競争するという目的です。そういう目的の為に、始業が7時半になっている訳です。しかし、少なくない人間が7時半に始まる事が目的になっていて、7時半までに来れば良い、という意識になってしまうのです。これは大変おかしな事で、7時半に来ては臨床開始時間の時に、スムーズに仕事が始まられるようにはなかなかなりません。

もう一つの例を挙げます。それは、医師としてのマナーです。医師としてのマナーは、フケの無い髪にし、服装を整え、ネクタイを締め、靴を履き、洗いざらしの白衣を着ます。しかし、それが目的ではないのです。それが目的であったら、それは芸能人やファッションモデルな訳ですから。そういうことは患者さんに信頼感を与える為の手段にしかすぎないのです。ですから時々、自分がその目的と手段を見失っているかも知れないという意識を持って、原点に立ち返って、今自分がやっている行動、或いは自分が持っている姿勢は何の為なのか、何の為の手段なのか、或いはそれ自体が目的なのかを時々再検討する必要があります。

 

 

 

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