菊地臣一 コラム「学長からの手紙  〜医師としてのマナー〜

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54.論文の校閲を受けたら、なぜその様に直っているのかを考えよ

講演発表や論文の校閲をする時に何時でも感じることが有ります。ワープロの発達でチェックした所はただちに戻ってきます。しかし、時になぜそう直されたのかをまったく考えていないとしか思えないような場合が少なくありません。例えば、一か所の単語を直したとします。その他にもその単語は有るのですがそこは直っておりません。

こういう場合、とてもその人間が全体の流れの中でなぜそう直したのかを理解しているとはとても思えません。直す立場の私から言わせれば、直す場合に、てにをはのみで無く、全体の流れの中で全否定で言った方がいいのか、全肯定で言った方がいいのか、或いは論理的な矛盾は無いのか、数字の誤りは無いのかと念入りにチェックします。ですから相当なエネルギーを要するわけです。そういう校閲に対して、なぜそう直されたのかを理解しようとすれば、一か所だけ直してその他の同じ過ちは直さないという事態は決して起きる筈はありません。

また、結果から導き出される結論が全く逆のことが書いてあることが希に有ります。本人がなぜ気が付かないのか私には判りません。論文には自分の名誉がかかっております。名を惜しんで、それが結果として正しいかどうかは別にして、なぜそう直したのかを理解できる様に精進して欲しいものです。

 

 

 

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