研究
分子や細胞のレベルから行動を制御する神経回路の機能や病態のメカニズムを解明する

1.遺伝子改変技術を応用した脳神経回路の機能解析

私たちの脳には100-1000億個の神経細胞が存在すると言われ、それらが複雑に結びつくことによって、特徴的な神経回路を構築します。この神経回路で行われる情報の処理が、さまざまな行動の基盤となっています。したがって、脳機能の仕組みの理解のためには、特定の行動を媒介する神経回路の作動のメカニズムを解明することが重要です。

私たちの研究室では、独自の遺伝子改変技術を開発し、神経回路を構成する特定の細胞タイプや神経路の機能を改変・操作することによって、脳機能の研究に応用してきました。遺伝子改変技術では、神経細胞タイプにおいて特異的に機能するプロモーター領域を利用して、目的の遺伝子を発現するトランスジェニック動物を作成します。あるいは、ウィルスベクターを用いることによって、脳内の神経細胞自身に目的の遺伝子を導入することも可能です。種々の遺伝子機能を利用することによって、細胞除去、神経伝達抑制、神経活動の制御などのアプローチが可能です。このような機能の操作が、動物の行動や生理機能に与える影響を解析します。

私たちは、後に述べるように、学習に基づいて行動の選択や切り替えに重要な役割を持つ大脳皮質と基底核を連絡する神経回路の機能について研究しています。これによって、行動制御を媒介する神経回路のメカニズムやこの回路の異常と関係する神経・精神疾患の病態発現のメカニズムが明らかになり、将来的には、回路の機能を操作して、病態の改善に結びつけるアプローチの開発に発展させたいと考えています。

研究全体のストラテジー

(1)細胞タイプ特異的な遺伝子改変技術による神経回路の標識と操作

細胞タイプ特異的プロモーターを利用して、目的遺伝子を発現するトランスジェニック動物を作成することにより、さまざまな神経細胞機能の操作が可能となります。私たちの研究室(当時、藤田保健衛生大学)では、1995年に、世界に先駆けて、標的の細胞タイプを複雑な神経回路から除去するアプローチ(イムノトキシン細胞標的法)を開発しました。組み換え体イムノトキシンの標的分子であるヒトインターロイキン-2受容体αサブユニット(IL-2Ra)を細胞特異的に発現するトランスジェニック動物(マウス、ラット)を作製し、その後、脳内にイムノトキシンを注入することにより、目的の神経細胞タイプを除去します。イムノトキシンの注入部位を選択することによって、脳領域特異的な細胞除去も可能となります。最初は、脳内のノルアドレナリン作動性細胞に対して用いられましたが、その後、線条体、小脳などの脳領域に局在するさまざまな神経細胞タイプの機能解析に応用されています。遺伝子改変技術を神経回路の機能解析に応用し、世界の先駆けとなった技術開発として知られています。この後、破傷風菌毒素の遺伝子を用いた神経伝達の抑制や、最近では、光刺激や化学物質によって神経活動を迅速に制御する技術の開発に繋がっています。

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(2)ウィルスベクター技術による神経回路の標識と操作

ウィルスベクターは、脳内の神経細胞に目的遺伝子を導入し、細胞機能のさまざまな操作のための技術を提供します。私たちの研究室では、加藤講師が中心となり、神経終末から導入され、軸索内を逆行性に輸送され、遠方に存在する細胞体へ遺伝子導入する特性を持つ新規のウィルスベクターを開発し、2011年に、高頻度逆行性遺伝子導入(highly efficient retrograde gene transfer: HiRet)ベクターと神経細胞特異的遺伝子導入(neuron-specific retrograde gene transfer)ベクターを報告しました。HiRet/NeuRetベクターは、導入遺伝子を逆行性に発現させ、細胞体の存在する脳領域で、導入遺伝子に対応した処理を施すことにより、特定の神経路の機能操作を可能にします。加藤講師により、2011年にマウスの視床線条体路の選択的除去に応用され、2012年には、生理学研究所との共同研究によるマカクザル脊髄固有ニューロンの経路選択的な神経伝達抑制に利用されました。また、京都大学霊長類研究所との共同研究によるマカクザル皮質―視床下核路の生理学的研究にも応用されました。これらのベクターは、さらに光遺伝学や化学遺伝学にも利用することができますし、遺伝子改変動物の作製が困難な実験動物においても特定神経回路の機能研究に応用することが可能なため、さまざまな脳研究分野への応用が期待されています。

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2.行動の選択と柔軟性を制御する神経回路のメカニズム

大脳皮質と基底核を連絡する神経回路は、学習に基づいて適切な行動を選択し、環境変化に応じて行動を切り替えるという脳機能に重要な役割を担っていることが知られています。また、この神経回路の異常は、さまざまな神経・精神疾患の病態と関連することも知られています。私たちは、これまでに遺伝子改変技術を応用した神経回路の機能操作を行うアプローチを通じて、大脳皮質―基底核回路を構成するいくつかの神経細胞タイプや神経路の機能解析を行ってきました。以下に、代表的な研究成果を紹介します

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(1)線条体投射路を介する行動選択の制御

大脳基底核の中心的な構造である線条体(背側)には、2種類の投射神経細胞タイプ(直接路と間接路)が存在します。直接路の神経細胞は、モノシナプス性に基底核出力核に投射し、間接路細胞は淡蒼球あるいは視床下核を介して出力核に投射します。両者の経路を介して出力核の活動を調節することにより運動の発現が制御されていると考えられています。

私たちの研究室では、深堀助教が中心となり、背側線条体直接路は、刺激に依存して行動を選択する学習の実行において、反応時間の制御に重要な役割を持っていることを見出しました。また、西澤助教を中心に、背側線条体間接路は刺激弁別学習の実行において反応の正確性に関与することを見出しました。したがって、背側線条体の2種類の経路が協調的に作用することによって、状況に応じた、適切な行動を迅速に、そして、正確に発現できるということが示されました。

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(2)線条体入力系を介する行動選択の制御

背側線条体には、大脳皮質の多くの領野や視床髄板内核群からグルタミン酸性の入力を、また、中脳腹側領域からドーパミン性の入力を受けています。ドーパミン性入力は、線条体の機能の多くに必須の役割を担っていることはよく知られていますが、皮質や視床からの入力の行動生理学的な役割についてはほとんど研究が進んでいませんでした。

本研究室では、加藤助教を中心として、前述のHiRetベクター技術を応用して、視床束傍核という髄板内核のひとつの核から背側線条体へ入力する神経路の役割について研究しました。選択的神経路ターゲティング法を用いて、マウスの視床線条体路を取り除くと、刺激に応答した行動選択の学習の獲得が障害されるとともに、反応時間も遅延しました。また、学習の獲得後、この経路を取り除くと、反応を正確に実現できなくなりますが、その時間には影響がありませんでした。したがって、束傍核に由来する視床線条体路は、刺激に応じて行動を選択する学習の獲得と実行に重要な役割を持つことが明らかになりました。反応時間を調節する機能は、獲得期から実行期にかけて、束傍核由来の経路から別の神経路に遷移することが推測されます。現在、もうひとつの視床線条体路を構成する中心外側核からの経路の役割を解析しており、興味深い知見が得られつつあります。

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(3)線条体コリン作動性インターニューロンを介する行動柔軟性の修飾

動物は、環境の変化に対応して、行動を柔軟に切り替えます。前頭前野皮質と線条体(背内側)を連絡する神経回路は、行動柔軟性の制御に必須の役割を持つことが知られています。本研究室では、岡田研究員(現在、広島大学・特任助教)と西澤助教が連携し、線条体アセチルコリン伝達の行動柔軟性における役割の研究を行いました。ラットにおける背内側線条体のコリン作動性介在神経細胞を、イムノトキシン細胞標的法を用いて除去すると、空間認識に基づく逆転学習や消去学習が増強されました。次に、この作用を媒介するムスカリン性受容体を特定するために、愛媛大学の松下研究員と共同して、線条体に局在するM4とM1受容体の遺伝子機能の抑制を行いました。その結果、M4受容体を抑制した場合に、逆転学習が増強し、M1受容体の抑制では逆転学習に顕著な影響のないことがわかりました。これらの結果から、線条体コリン作動性介在細胞は、M4受容体を介して行動柔軟性を抑制的に制御していることが明らかになりました。脳内のアセチルコリン伝達は、これまで、さまざまな学習に対して促進的な役割を持つと考えられてきましたが、脳領域や行動課題によっては、抑制的な役割を持つということが初めて示されました。

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(4)今後の展開

私どもの研究室では、これまで、大脳皮質―基底核回路を構成するさまざまな神経細胞タイプあるいは神経路について、行動選択やその柔軟性における役割を明らかにしてきました。今後、これらの行動を媒介する神経回路のメカニズムをより詳細に理解するためには、行動課題中のそれぞれの神経細胞タイプや神経路の活動の動態を明らかにする必要があります。現在、深堀助教は、玉川大学の礒村宜和先生と共同して、オペラント行動課題中の神経活動の記録実験に取り組んでいます。特定の細胞タイプや経路の機能操作の影響を、神経回路の動態と行動の両面から評価していきます。さらに、伊原助教は、神経回路操作のための新しい遺伝子改変技術の開発を進めています。これらの技術を、その他の神経回路の機能研究へ発展させることにより、行動制御を媒介する神経回路のメカニズムの全貌を明らかにしたいと考えています。また、動物の行動適応のためには、環境の変化に応じて、神経回路を遷移させることがたいへん重要なことであり、神経回路操作のための技術を活用して、学習のプロセスで起こる回路シフト機構の解明を進めていきたいと考えています。

本研究室の活動は、多くの研究員のみなさんの日々の研究支援に支えられています。また、現在、大学院生やMD.PhD.コースの学生のみなさんの今後の活躍を期待しています。